プロフィール的なもの:3:「家住期」~海外移住篇~
「家住期」〜離婚まで篇〜からの続きです
離婚した私は、引っ越しをして一人暮らしを始めた。
でも、「このままで良いのだろうか?」といつも思っていた。
離婚もしたし、なんかもっと違う生活がしたいと思い「転職しよう」と考えた。
しかし、なかなか自分がやりたいと思える仕事が見つからなかった。
そもそも私は何がしたいんだろう?。やりたいことは何?
考えても考えても全く思い浮かばなかった。
自分だけでは解決できそうも無かったので、
縁のあるスピリチュアルカウンセラーさんに相談してみた。
「ちゆきさん、いっそ海外に行ってみてはどうですか?」
私の頭では全く考えもつかないアドバイスだった。
「そういえば私、子供の頃外国に住みたいって思ってたなあ」
私はそのアドバイスにとても魅力を感た。
海外で働くとしたら何が出来るか考えてみた。
英語は学校で習ったくらいの語学力。仕事になんか全く使えない。
語学があまり必要なさそうな仕事。
調べてみると海外にも日本のレストランがあり料理人の求人も出ている。
キッチンで働くならあまり語学は必要なさそう
(↑ 後にこの安易な考えを後悔することになる)
そこで寿司職人になるための学校があることを思い出した。
「そうだ、寿司職人になって海外で働こう。」
私は寿司学校の説明会に行き入学手続きを済ませた。
今までの私ではあり得ないくらいの速さでの行動に自分でも驚いた。
学校は週1回の授業で1年間、仕事を続けなから何とか通うことができた。
何とかテストにも合格したので今までサラリーマンとして勤めた会社を辞めた。
最初はすぐに「海外に行こう」と思い、就職活動を始めた。
しかし、「飲食業での経験がない」と言うことで何件も断られた。
私は一度海外行きを延期し、少しでも飲食業での経験を積むことにした。
「急がば回れ」だ!
寿司を提供しているレストランの求人を見つけたのでそこで働くことにした。
私は働きながら海外の求人に募集し続け、ついにドイツで働くことになった。
そこからは今まで勤めていたレストランを辞め、
一人暮らしをしていた部屋も解約しドイツに渡る準備をした。
2015年11月、私は知り合いも全くいないドイツに一人で渡ることになった。
翌年の2016年1月、待ちに待った労働ビザが下りたので働き始めた。
ドイツ語が話せない私は同僚の日本人に助けてもらい何とか生活することができた。
正直「なんでこんなこと来ちゃったんだろう」って思って泣いた日も多々あった。
それから7年間、外国で暮らすって大変だなと日々思いながら今日に至る。
「林住期」〜始まり篇〜 に続く