その⑥ うんと甘やかされた経験が命を救ったのかもしれない 『世界で一番幸せな男 101歳、アウシュビッツ生存者が語る美しい人生の見つけ方』を読んで
『世界で一番幸せな男 101歳、アウシュビッツ生存者が語る美しい人生の見つけ方』を読んで感じたことのなかに、
「子供を甘やすのって大事なんじゃないか」
というのがあった。
エディが子供時代に愛情いっぱいの家族に囲まれて育ったことや、エディの両親がとても愛情深い人で、誰に対しても親切だったことは今までにも書いた。
だからこそ、エディは子供時代に蓄えた愛情に支えられて凄惨な経験の中でも生き延びられたのではないかと思ったことも書いた。
とはいえ、両親に注がれた愛情の中には、今の私なら「甘やかし」として却下したり、子供に説教をするのではないかというエピソードがあった。
インフレが激しいなか、エディのお父さんは、誕生日のお祝いに、エディがリクエストした卵6個、白パン、パイナップルを用意したという。
卵は贅沢品だったし、ドイツでは白パンは当時なかなか手に入らなかったそうで、パイナップルに至っては魔法でも使わないと手に入らない代物だったそうだ。
そしてそれをエディは一人で食べている(ように文章から推測される)。
私だったらまず、「こんな時にそんなわがままを言うな」と怒り、「そんなものを手に入れるのに親がどれだけ大変な思いをするか考えないのか」と罵り、「自分のことしか考えていない」と言うような気がする。
ましてや、家族にそれを分けず、一人で食べたなんてことになったら、「周りの人のことなんて何も考えられない自分勝手な奴め!」と怒り倒す気がする。
ところが、エディのお父さんは、エディが喜ぶ顔を見るためならどんなこともやってのけたと言う。
世の中が大変な時で、みんなが食べたいものを我慢している時代、「子供に我慢を教えなきゃ」とか、「分け与えることを覚えさせなきゃ」と言う思考になりやすいと思う。
そう教えることで、子供が我慢強く、人に分け与える子供になってくれると思うのが一般的な考えだとも思う。
でも、もしかしたらその逆で、そんな大変な時でも自分を喜ばそうとあらゆる手段を使って満たしてくれようとしたその心を子供は受け取り、自分もそういう人になろうと思うのかもしれない。
実際エディはアウシュビッツの中で、友とそうして食べ物を分かち合っている。
以前、佐々木正美(昭和10〜)の本にも、幼少期の子供をうんと甘やかすことで、甘えるという経験をたくさんさせることで、子供は良い子に育つと書いてあった。
子供が人に危害を加えても知らん顔をしたり、我が子だけを盲目的に可愛がるという意味での”甘やかす”ではなく、自分は親から受け入れられて愛されていると感じさせる種類の甘えは、子供がこの世を安心して生きていくのにとても大事なのではないかと感じたのだ。
私が芸者時代にお目にかかったお客様の中には、想像したこともないような「良いお育ち」の方がいらした。そういう方の子供時代のお話は誠におっとりしていて、「戦時中にそんないい暮らしをしていたの!?」などとびっくりもしたけれど、その分ものすごく人にも優しいという印象があった。
なぜか、「厳しくすればちゃんと育つ」と思いがちだし、ついつい子供には根性論や忍耐を押し付けたくなる。
けれど、十分に愛情を感じることができないまま、そういう方針が行き過ぎたなかで育った場合、「弱った心が自分より弱いものを探し、自分の欲しいものを持っているものを憎む」というナチスがたどったのと同じ方向に行く人が生まれる可能性は十分あると思う。
人は何によって生きられるかといえばやはり愛で、その愛を十分に与えることで、時には過剰と思えるほど注ぐことで、注がれた人はまたそれを人に与えて行くのかもしれない。
この本を読んでから、そんな想いがずっと残っている。