「もの」から生まれる「思い出」
こんにちは。ちよはち商店 代表の田中です。
皆さんは次のような言葉をお聞きしたことがありますか?
「お金を使うなら "もの" ではなく "思い出" に使いたい」
「"もの" よりも "思い出" に価値がある」
こういった、「もの」と「思い出」を二者択一に捉えた表現です。
ここの「思い出」は「経験」という言葉で置き換えられることもあります。
確かに、何かにお金を使うとなったときの使い道は、旅行や外食のような「形に残らないもの」か、あるいは、形に残る「もの」に分けられます。
上記のような、ものと思い出を対比した表現は、言い換えれば「形には残らないけれど、思い出として心に残る時間を大切にしていこう」ということだと思います。
私もそのような考えには賛同する部分がありますし、仲の良い人との旅行や外食などは、その楽しいひととき自体が、その後の私たちの心の中に留まる財産となり、時に温かい気持ちにさせてくれたり、懐かしむ気持ちを呼び起こしたりすることがあります。
「"もの"より"思い出"」
ものに溢れた今日において、より内面的・心理的な要素を大切にしようという、今の時代にマッチした考え方であるように思えます。
「もの」からも「思い出」は生まれる。
ただ、「もの」と「思い出」は常に二者択一となるのでしょうか。
実際は必ずしもそうではないと思います。
もっというと「心の込められたもの(込めたもの)からも思い出は生まれる」と表現すべきでしょうか。
私自身の例をあげると、「お世話になった方からいただいたネクタイピン」があります。
私は大学院生だった時に、社会人のソフトボールチームに所属させていただいていました。
学生であった自分は、スケジュールの調整や金銭面のやりくりが難しいこともあったのですが、監督さんを中心にサポートしていただき、大学院2年の冬に無事に卒部式を迎えることができました。
卒部式の際には、お世話になった監督さんからネクタイピンをプレゼントしていただき、それは7年以上経った今でも愛用しています。
そのネクタイピンをつける度に、当時学生だった自分に目をかけてくださった監督さんや部員の方々との思い出や、その時々のエピソードが回顧され、スーツ姿の自分を明るく前向きな気持ちにさせてくれます。
なので、「もの」と「思い出」はいつも二者択一的なものではく、「ものが思い出を生み出し、私たちに残し続けてくれる」、そんな一面もある。
そう思います。
私たち、ちよはち商店は、鹿児島や南九州の特産品や工芸品など、職人さんや生産者さんが丹精込めて作り上げた、血の通った品々をお取り扱いいたします。
どれも皆さんの手に取っていただき、背後に流れているストーリーを感じていただきたいものです。
そしてそれは、大切な人に送ったり共有したりすることで、思い出を残し続けてくれるものにもなります。
ちよはち商店が、皆さんの人生の思い出を色褪せないものとし、暮らしを彩る一役になることができれば、私たちにとってこれほど嬉しいことはありません。
"日常に彩りを" ちよはち商店 ただいま開店準備中です。
ちよはち商店 代表 田中