夏のおわり 上
1分小説
この物語は2章構成になっています!
第一章: 彼女の小さな気遣い
里田瑠璃は、28歳の独身女性。東京の下町にある小さな和菓子屋で働いている。店の奥にある作業場で、瑠璃は静かに作業を続ける。夏が終わりに近づくこの季節、冷房の効いた店内で、冷やした大福を丁寧に包む。手のひらに感じる冷たさが、まだ続く蒸し暑さを忘れさせてくれる。
瑠璃の細やかな気遣いは、店の常連客からも評判だった。彼女は、毎日訪れる老人の好みの味を覚え、注文前に準備を整えておく。ある日、その老人がぽつりと漏らした言葉が、瑠璃の心に引っかかった。
「もうすぐ秋か。最近は味も変わってきたなぁ…」
夏が終わる頃になると、和菓子の素材や味も微妙に変わってくる。しかし、老人が言った「味が変わった」という言葉には、単なる季節の移ろい以上の何かが含まれているように思えた。もしかしたら、老人の味覚が衰えてきたのかもしれない。あるいは、体調に何か変化があったのかもしれない。彼女は気にかかりながらも、深入りすることを避けた。
その夜、瑠璃は一人暮らしのアパートで、老舗の色彩検定の本を開きながら、老人の言葉を反芻していた。彼女は色彩の資格を持っているものの、その知識を活かす場面は限られていた。だが、色の微妙な変化や季節ごとの素材の色合いに敏感な彼女にとって、老人の言葉はどこかしっくりこなかった。
翌日、瑠璃は店に出勤する前に、少し早めに家を出た。彼女は近くの市場へ足を運び、季節の素材を探しに行った。目についたのは、艶やかな色合いの果物や、色鮮やかな紅葉を思わせる素材たちだった。それらを手に取りながら、瑠璃はふと思いついた。「この色彩で何か新しい和菓子を作れたら、老人もきっと喜ぶはず…」
その日、瑠璃は店の作業場に戻り、試行錯誤を重ねながら新しい和菓子を作り始めた。彼女は、秋を迎える少し前の、夏の終わりを表現するような色彩と味わいを目指した。鮮やかな赤や黄色、深い緑を使い、口に入れた瞬間に広がる繊細な甘さを意識した。
数日後、瑠璃はその新作を完成させ、いつものように店を訪れた老人に手渡した。老人は一瞬驚いた顔をしたが、次の瞬間には穏やかな笑みを浮かべ、和菓子を口に運んだ。
「これは…懐かしい味だな」
その言葉を聞いて、瑠璃の胸に温かいものが広がった。しかし、まだ何かが引っかかる。老人の言葉には、依然として隠された意味があるように感じた。
つづく
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よろつよ
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