流されてもいいと言った私
私はこれまで
割と、自分の想いに素直に行動してきた。
サッカーをしたいと言い出したのも自分で、やめると決めたのも自分。
もちろん失敗したこともたくさんあるけれど、その決断は自分の心に従ったものだったし、心のままに動いてきた。
自分で決断できる自分が好きだったし、そう生きているという自信もあった。
そして、それが正しいと心のどこかで思っていたのだと思う。
世の中の人みんな好きに生きたらいいのに。
何に囚われているんだろう。
…とか思っていたかもしれない。
別にどう生きようがその人の勝手で
そのこと自体に、良いも悪いもないのに。
そんなことに、言葉上ではなく本当の意味で気が付けた話。
もし良かったら、私がこの7か月で感じたことをちょろっと覗いてみてください。
自分の心から目をそらす経験
先ほども少し書いたけれど学生時代私は、基本的に自分の心に従って生きてきた。
やってみたいことには手を出してきたし、行動もしてきた。
挑戦も失敗も繰り返して、つらいことも多かったけれど、自分の人生を歩んでるという自負があった。
そんな私が、会社の社員として社会人になって。
今自分が何をしているのか、分からなくなってしまった時期があった。
(※これは別に会社が悪かったわけではない。と誤解がないように先に書いておく。私自身の話。)
頑張りたい。頑張れない。
結果を出したい。結果を出せない。
辞めたい。でもやめられない。
誰に止められているわけでもないのに、やめるという決断ができない。
辞めないという決断をしているのは自分ということはわかっていた。
だから、自分の意思に背いた決断をし続けている自分もまた許せなくて、余計に自分を責めて追い詰めた。
なぜそうなってしまったのかはまた別の話になるが、色んな要因が積み重なって自分の心に反してしまうしまう時間があり、それは私にとってとても苦痛だった。
流されてもよいんじゃないかな
そこから、本当に多くの人の手を借りて、私は少しずつ会社での仕事に前向きになっていった。今ある目の前の仕事に目を向けて、今ある幸せに感謝をしながら仕事に打ち込むようになった。(その話もまた別の機会に。)
ようやく自分の心と折り合いがついた頃。
人材紹介会社で働いていた私は大学3~4年生の就活相談にのっていて、そこで話をしていた学生にこんな事を相談された。
「自分、流されやすいんですよね。」
「自分では、バリバリ仕事に打ち込みたいと思っているんですけど、親には絶対安定したところに行った方がいいといわれていて。それで結局、自分は親がいうような安定した所に行くと思うんです。」
「本当は自分で決めたいんですけど、流されてしまうんです。やっぱりよくないですよね。」
さらにその人の話を聞くと、その人にしかわからない背景があって、それに抗いながら苦しんでいるのが伝わってきた。
今までの私だったら、なんだかんだ”自分の心に従ったほうがいいよ”とか言っていたんだと思う。
自分の心に素直になりなよ。自分の道は自分で決めるんだよとかなんとか。
でもその子はそんなことを承知の上で相談をしてきていた。
そしてその時の私は「背きたくないのに、自分の心に背いてしまう経験」をしたことのある私だった。
仕事を辞めたいけど、やめられない時に「やめたいならやめなよ」と言われることが辛かった。
悩む要因は、周りの人からすると悩む余地もないくらいつまらないことで私は悩んでいたのかもしれないけれど、私にとっては大きな悩みだった。
人それぞれ踏み出すスピードも、踏み出すタイミングも違うことも理解していた。だからその子が親に流される理由も、そんなことならと私が判断することではない。
・・・なんてことを思って、考え考え出てきてきた言葉は「自分が流されているって気が付けているのがすごいね」だった。
そして次の言葉は「流されてもよいんじゃないかな」になった。流されるって決めているのも結局自分だしね、と。
流されてみて、そこにいってみて良かった~と思うならそれはラッキーで幸せなことだし、やっぱり違うな~と思うならそこから軌道修正したら良いよ。みたいな。
…あ、でもやっぱ自分の気持ちのまま動きたいならそれでもいいし。と最後はあたふたしていたと思う。
締まりはなかったけれど、半年の自分からは考えられないセリフが飛び出してきたことに自分で驚いた。
私なりの7か月の成長
長々と書いてしまったけれど、
自分の気持ちに気づかなくったっていいし、気づいて背いてもいいし、周りの人とずれてたって、思いのままに突き進んだっていい。
生き方自体に、良いも悪いもない。
そのことを本当の意味で理解することができた。
自分のことなのにどうしても自分をコントロールできないという経験をして、自身の価値観が少し変わったよという話。
社会人になって、7か月の経験からみえたもの。この仕事をしていたからみえたもの。苦しんだからみえたもの。
この話が正解でもなんでもないけれど
「流されてもいい」といえた私は、少しだけ学生の時よりも前に進んだのかもしれない。
リクルーターとして求められる返答ではなかったかもしれないが、今の私の精一杯。
どうかあの学生が、これ以上苦しむ自分を責めずにすみますように。
(※一部会話の内容、学生の状況は変更して書いていますがご了承ください。)