サッカーは誰のために(2)
前回、私がめちゃくちゃ自我が強いというのを書きました。笑
いかがでしたか?
全然違うイメージだったか…
イメージ通りの私だったのか…
わからないけれど、またこうしてnoteを覗いてもらえた事を嬉しく思います。
今回は、そこから私は何を経験し
その上で、どう変わってきたのか。
そんなお話ができたらと思います。
初めてチームのために
先日、元スフィーダユースで、現在大東文化大学のひめかが
私について文章を綴ってくれました。
この文章にもあるように、ひめかが2回目の前十字靭帯を断裂した時は、私と一対一をしている時でした。
でも、ひめかは私の前ではずっと笑ってくれていて
リハビリ中も、私には辛い顔なんて見せなかった。
いくらお腹の底がもやもやしても、私にできる事は何もなくて
だから試合に勝つしかないという想いでした。
ひめかの言う通り、無我夢中で
何が何でも全国に行きたくて。
関東大会1回戦
"私が活躍なんてしなくても、チームが勝てればなんでもいい。とにかく勝てるなら何もいらない"
私は人生で初めてそんな風に思いました。
"自分が試合に出ている"
その上での考えではありますが
"チームのためだけ"にプレーをした試合でした。
試合で勝って、嬉しすぎて泣いたのも初めて
というより、この時しかない。
ひめかはこの時の私に
"心動かされた"と言ってくれました。
それは、私が初めて
チームのために戦ったからかなと思います。
ねえひめか。
すごい褒めてくれたけど、私チームのためだけにサッカーしたの、この時が初めてだよ。
でも、私の最初の一歩を見ていてくれて
こうやって伝えてくれて
本当にありがとう。
無償の応援
そうやってチームのためにという想いが強くなったものの
所詮これは"試合に出ている人間"の感覚。
試合に出てるから、チームのために戦える。
その考えは特に変わっていませんでした。
そこからトップチームに昇格した私は
今まで通りでは、結果を出すことができませんでした。
ダメでもダメでも、がむしゃらに頑張ればうまくいくんじゃないかって思って
今まで通り、最後にはなんとなくうまくいくんじゃないかって
心のどこかで思ってたのは確かにあります。
でも、目の前の現実は甘くなくて
全力だから報われる世界ではなくて
それでもひたすら気力だけで頑張っていた。
そしてその気力も、実際は何度も心折れています。
練習場のトイレによく引きこもりました。
それでも頑張れたのは
サポーターさんの存在が心にあったから。
試合に出れていないのに、毎回声をかけてくれるサポーターさんの存在は、わたしの中で本当に大きかった。
高校3年の時に
私は初めてサポーターの方と関わりました。
私が試合に出ている時
観に来てくれる。
声をかけてくれる。
点を決めたら喜んでくれる。
ユースの私にはそれがとても新鮮で
嬉しくて、ありがたかったです。
でもそのサポーターさんたちは
"試合に出てない私でも"応援してくれた。
最後の最後まで見捨てないでくれた。
特に14番のユニフォームを買ってくれてる人
その人のためにも、私は結果を残したかった。
他の選手のユニフォームを着ている人たちは、ピッチで頑張っている選手を応援できるのに
私はその人に何も魅せることが出来ない。
私はなぜここにいるんだ。
スタンドで試合をみながら、何度もそう思いました。
そんな私に
大丈夫、待ってるから。
焦らないで良いよ。
どうしてそんな声かけをしてくれるんだろう。
本当に申し訳なかった。
でも、本当に嬉しくて。
自分のためだけでは
私があの2年を全力で駆け抜ける事が出来ませんでした。
結果を出せなかったから
申し訳なさしか残っていないけど
何度折れても、応援してくれる人たちがいてくれたから、諦めるわけにはいかなかった。
そして私は、今サッカーを続けています。
結果を出した時に
その時支えてくれたサポーターさんたちのことを必ず思い出すのだと思います。
あの試合に出られていない期間
私は無償の応援をいただいたことで
それに対して恩返しをしたいという想いは強くなりました。
さらに、今このnoteを通して
応援してくださる方。
今私は、あなたのためにも、サッカーをしたいと思っています。
私が頑張ることで
"なんでそんなに頑張れるの?"
その頃、そう聞かれることがたまにありました。
最初は、自分が試合に出たいからだよ、としか思っていなかった私だけれど
先ほども書いたように
試合に出られない自分に失望して、自分のためだけに頑張ることが難しかった時もありました。
そんな時
"ちうが頑張ってるから、自分も頑張れる"
"ちうと一緒なら頑張れる"
チームメイトからそんな言葉をもらったことがあります。
私が、私だけのために頑張るのは難しくても
それが"誰かの力"になる。
この頃から
頑張ることが、自分のためだけではなくなりました。
だからあの頃を乗り越えられたと思うし
結果が出なかったけど
その人のためににもなっていたと考えたら
あれは無駄だったとは思わないでいられている部分もあります。
いってくれた人は覚えてないかなぁ。笑
同じチームで、ライバルだけど
そのライバルのためにも私は頑張ることができた。
それが、チームメイトなのかなと
それをすごく感じました。
チームのために
試合に出ていなくても
自分以外の人のためにサッカーをすることで
より頑張ることが出来る、力を出せる。
それをハッキリと感じた私でも
試合に出ていない時に
"チーム"のためにサッカーをする事はまだまだ難しいなと感じています。
だって、単純に試合出たいですもん。笑
試合に出なくて、どうやってチームのために頑張れば良いんですか。
まずは自分でしょ。
でも
自粛期間中、VENTUSのキャプテン、よしみさんと話した時に言われました。
"チームのために頑張れる人が、試合に出るんじゃないかな"
試合に出て、チームのために頑張る
ではなく
チームのために頑張る人が、試合に出る
チームのために、が先に来るんです。
そしたらプレーが変わる。
だから試合に出られる。
"自分が試合に出たい!でプレーしてる人と、みんなのためにやってやる!でプレーしてる人"
"たぶん、みんなのために頑張れる人のがいいプレーするんだと思う"
"そしたら試合にも出られるんだと思うよ"
よしみさんはよしみさんで
沢山悔しい経験をして今がある。
試合に出れない人間の気持ちがわからない綺麗事では、決してありません。
だからこそ、心に響きました。
私には、これが正しいのかどうかわからない。
なぜなら、その気持ちを持ってサッカーをしたことがないから。
でも
チームのために戦って、人の心を動かせた
サポーターさんの存在によって、何度折れてもまた立ち直ることができた
頑張ることが誰かのためになると知って、最後まで頑張り続けることができた。
それは経験として知っている。
ならば、まずは
私が得たこの1つの答えを
まずは自分が、体現してみるしかないのではないか。
正直
これは本当に難しい。
チームスポーツ最大の矛盾だと私は思っています。
今だって、試合に出れなくて悔しくて泣くことも、周りの活躍が妬ましくなることもあります。
そしてそれが、100%悪いのでもない。
でもその矛盾に
悩んで、葛藤して、打ち勝って。
チームのために何ができるのか。
チームのために自分をどう活かすのか。
そう考えられた時に、爆発的な力がでる可能性は十分にあります。
自我の塊の私。
そんな私が、この矛盾に打ち勝てるのか。
やってみなければ、わからない。
1つ言えるのは
私は"サッカー"をしていて
サッカーは紛れもなく、"チームスポーツ"です。
1人では出来ないけど
11人より多くピッチには立てなくて
その矛盾をとことん楽しんでこそ
サッカーを楽しむ事に繋がるのではないかと思います。
サッカーは誰のために。
自分のためだけにサッカーをしていた私の
今の想いです。
最後によしみさんの言葉で締めくくります。
人によって
立場や状況によって
見え方って全然違くて
感じ方も全然違くて
でもその違いを否定するのではなく受け止めて、なんとなく同じ方向むいて進んでいけたらいいな。
誰のためにサッカーをするのかは
人それぞれ違っても
みんなが、ほんの少しずつチームのためにサッカーができたらいいな。
なんて思いながら、文章を締めくくります。
読んでいただき、ありがとうございました。