イロニーとシニシズム(冷笑主義)との差異
はじめに
キルケゴール、ロマン主義における「イロニー」と、現代に特有の知的態度である「冷笑」とは現象、あるいは表層的に見て非常に類似している。しかしながら、特にロマン主義におけるそれ、すなわちロマン主義的イロニーと、現代的な冷笑主義とは、質的に非常に異なったものであり、なおかつその区分においてはイロニーとの対比ではなく、同じくCynicismの語で表される「キュニコス主義」との関係において語られるべきものである。
イロニーの概念
イロニー(特にロマン主義的イロニー)とは、大まかに言って3つの要素から成り立つ。
1.超越的立場からの観測
イロニー及びフモール、そしてテオリアは、この世のありとあらゆる価値観、概念に対し何らかの支持を表明せず、あくまで超越的立場、つまり世界を外部より観測し、それにおいて事象について判断する。
2.上昇的方向への志向
テオリアは、あくまで天上から地上へ、その思考の方向を向けるのであるが、特にロマン主義的イロニーおよびフモールは、地上より天上、それも決して行き着くことの無い天上へ自らを常に向ける。テオリアについて言えば、テオリアとは自らを鏡として、積極的に関わらずに真理を会得しようと試みる。
3.現世への否定的関与
イロニーは、現世について否定的に関わる。フモールが「どうしようもない人間を愛する」という肯定的態度をとるのに対して、イロニーは自らも含めた全ての現世に対して否定的態度をとり、かつ否定的に関わる。例えばソクラテスは当時のアテネの全て(少なくとも、当時のアテネを支配した知的価値観の全て)に対して否定的に関わり、そして死刑となった。このことは、原初のイロニカーとも言えるソクラテスが真に無知でなければ起こりえず、何らかの知的見解(プラトン的に言えば「イデア」)を持っていた訳ではない、ということでなければならない。その事は彼の問答法の目的が、何らかの答えを見つけ出すものでなしに、矛盾、アポリアを導き出してお互いを知的混乱に導くことであったことからも推測できる。
すなわち、イロニーとは何らかの立場に拠って関与することはなく、時には自らの命をも否定することのできる態度であると言える。
冷笑主義
表層的に見れば、イロニーと冷笑主義はどちらも理念、概念に対して否定的立場を取る類似した態度であるように見える。しかし、イロニーと冷笑主義はその根本からして異なっている。
まず、冷笑主義はCynicismと英語で言う。その語源はギリシャにおけるキュニコス主義から取られており、この思想は「真理に対する判断停止」をその根本とする。
真理に対する判断停止とは、何らかの思惟や推論に拠って手に入れた知的立場に対して、それが真であるか偽であるかという判断を永久に保留し、独断論に陥ることを避けようとする態度である。
しかし、冷笑主義はその態度からして否定的である。すなわちキュニコス主義における判断停止とは、思考停止のことではなく、真偽の判断を避けることによって常にその知的見解に対して考察を続けようとする態度であり、ある意味においてこれは超越的な立場であるのだが、冷笑主義とは何らかの理念や概念に対して考察することなしにそれを偽であると断ずる。例えばある特定の見解に対して「そんなことを信じているなんて馬鹿だ」と言うこと、例えば学問的に導き出された結論に対して「○○に決まっているだろう馬鹿じゃないのか」や「そんなこと考えるなんて暇人か」と罵倒するような態度こそ、冷笑主義の特徴が最も現れていると言えるだろう。
冷笑主義とはすなわち、超越的立場ではなく卑小な現実に拠って立ち、己の否定あるいは己の信ずる立場を否定することなしに、他の自己あるいは立場を否定しようとする態度であると言える。
冷笑主義は基本的に、己の立場を否定することがない。先程あげた「○○に決まっているだろう」という言説からも見いだせるように、冷笑主義者は己の信条に対して疑義を挟むことがない。そして他の信条に対しても疑義を挟むことなしに、直接的に否定を行う。
冷笑主義者がソクラテス(つまりイロニカー)と違うのは、ソクラテスがあくまで問答法、対話によってその立場に対して疑義を挟むのに対して、冷笑主義者は問答、対話なしに己の一方的な独白によってその立場を否定する。その意味において冷笑主義はドグマスティック(独断論的)である。
イロニーと冷笑主義の差異
これまでに上げたイロニーと冷笑主義との差異をまとめるのであれば、以下のようになるだろう。
・イロニーは上昇的思考を持つのに対して冷笑主義は現実より上昇することがない
・イロニーはあくまで疑義の上での否定であるのに対し、冷笑主義は疑義を挟むことなく直接的に否定する
・イロニーは自らをも否定するのに対し、冷笑主義は自らを否定することがない
以上の3つをもって、イロニーと冷笑主義の大まかな差異としたい。
あとがき
これは、おそらく私がこのアカウントを始めた直後に書いていたものである。私の思考は蝙蝠か蟷螂のようにコロコロと変わる。だが、その記録が残ることはあまりない。だから、ここに残しておくことで、少しでも記録に残る可能性を高めておこう、というわけである。
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