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反省はするが後悔はしない

長く生きれば生きるほど、「取り返しのつかない過ちを犯したかも……」と後ろめたい気持ちで人生を振り返る機会が多くなる。

人生の大事な節目で選択を間違えた
選ぶ相手を間違えた
何度も時間を無駄に過ごした
健康に気を配ってこなかった
決してよい親ではなかった
何気ない一言が相手を酷く傷つけた
大切な人に大切なことを言えぬまま会えなくなった
etc……

それらの「過ち」を数え上げればキリがない。すべてをリストアップしきれないほどの多くの「過ち」が、記憶の奥底にはうずもれている。

しかし、「過去の過ち」に関して反省はしても、決して後悔はしないと決めている。当時の行いへの反省を踏まえて同じことを繰り返さない努力は必要不可欠だが、過去を悔いたところで何の意味もないと今はわかっているからだ。

人生の折り返し地点などとっくに過ぎ、やり直しが利く年齢ではなくなった。後悔で無駄な時間を費やせばもっと強く後悔することになりそうだ。その間にも時間はどんどん過ぎ、人生の残りの時間はどんどん少なくなる。もはや後悔している暇などない。そのことを強く実感している。

後悔で悩み苦しめるのは、体力もポテンシャルもまだ十分に残っている若い世代の特権だと思う。人生も残り少なくなった今、後悔に時間を費やしていたらあっという間に死期が訪れてしまうだろう。

お金の面でも精神面でもようやくゆとりが出てきた今、これまでできなかったやりたいことがたくさんある。どこまで突き抜けていいのか思いあぐねてはいるものの、見切り発車でも前に進まねば到底時間が足りない。

そんな時に過去の過ちを悔やんで何の得があるのか?過去に戻ってやり直せない以上、過ちによっておかしくなってしまったことはこれからの人生で修正や矯正をしていくしかないだろう。せめて人生の終わりの時に、「この世に生まれてよかった」と思える程度には。

なにはともあれ、今は過去の過ちを踏み越えて前に進み続けるしかない。私にはあまりにも「取り返しのつかない過ち」が多すぎるので、うっかり立ち止まればあまたの後悔で心が押しつぶされそうだ。とはいえ、そこから目を背けるだけでは進歩がない。だから過去の失敗をふまえて反省や今後の改善はするが、決して後悔はしない。してたまるものか。

未だに、何を目標にどこまで進めばいいのかもわかっていない状態だが、二度と取り戻せないことへの後悔はせず、ただ前を見て進もうと決めている。それでも人生の終わりに後悔するかもしれないが、まあ、それはそれで仕方がないことだと割り切ろう。


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