たかまみー・療育分野で活躍するようになるまで1

この記事を書いているたかまみーこと髙見雅子です。
作者が今は「子育て羅針盤」としているのは仮ネームで、しばらくしたら名前を変更しますので、よろしくお願いします。
名前の中にたかまみーは入れようと思っています。

私は、重度知的障害&自閉症スペクトラムの19歳男子の母。

私がたかまみーメソッドを使って仕事をするようになった経緯を書きます。

子どもが3才で障害名の告知を受けて、
発達障害支援センターでTEACCHプログラムを「あなたがやることは、これですよ」と伝えられたその瞬間から、
私の活動は始まりました。

私、実はTEACCHプログラムに少し抵抗がありました。
私のなってほしい子どもの姿と違ったからなんです。
確かに、ものすごく困っていましたから、このプログラムにすがっていれば、早く楽になれたのかもしれないのですが、
私の想いと違う、というのは私にとってとても重要なことでした。

そこからいろんなところを放浪し、
私自身、かなりたくさんの教えてくださる師匠にお世話になることで、
私自身がセラピストとなれるように自分をプロデュースしてきました。

療育って子どもが受けるものなんですが、
それよりも、私が学ぶことを重視してきた感じです。
実際、私の指導だけでお世話になった方もいます。

今はもう亡くなってしまわれた師匠、
忙しくなられて遠い存在になってしまわれた師匠、
簡単にはお会いできないけど、ネット上でつながっている師匠、
師匠たちは、大学教授から株式会社の社長まで
療育の世界で生きておられるけれど、スタンスはいろいろな方たち。

子どもと関わるときに、
今の子どもの姿をしっかりと言語化してくださることと
遠い将来大人になったころの姿を想像して今に落とし込んでくださることと
皆さんとても上手でした。
また、子どもが楽しいと思うことを題材に
その中で育んでいくことを重視しておられた点も共通していました。

そんな師匠たちに教えていただくことを、毎日毎日実践していくと
意外に私は「できる」ということに気付きました。
またなかなか「センス」があることにも気づきました。

師匠たちや、学校の先生、療育の先生たちも、一目置いてくれていたと思います。
同じ、またはそれよりも上の目線で話をすることができ、
子どもに成果をもたらしていくことのできる母親
という評価でした。

私は、結構オタク気質なんだと思います。
これと思うものに、深く入り込む、詳しく知りたくなる、試してみたくなる、自分の中で論理的に納得したい、
そんな欲求を持っています。

息子が12才くらいになると、自分の中でなかなかいいものができあがってきました。

息子が15才になったとき、たまたま出会ったフリースクールに身を置くことになり、そこでしばらく活動してみようということになりました。
法人格はあったのですが、子どももスタッフの子どもばかりで、
何をどうしていこうというところはまっさらだったというか
右往左往していた団体でした。
いわゆる一からの起業です。
最初は無収入からスタートしました。

フリースクールって本当に儲からない商売なので、
ボランティアで成り立っているところも多いと聞きます。

そこから、めっちゃくちゃ面白い人生がスタートしてしまいました。
つづく

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