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きょうを生きる友へ③ 不惑は何処
気が付けば4月も3分の2が過ぎていた。例年になく桜が早く咲いて散ってしまったので、目に映る景色はもはや初夏ともいえ、まだ4月なのか、という気持ちがないわけでもない。4月が終われば、2021年は3分の1が終わってしまう。
年齢を重ねるごとに、時の流れが早く感じるようになった。等しく時間が流れているはずなのにどうしてそう思うのか。こんなふうに考えたことがある。
例えば、私は39歳だから、今過ごしている1年は、39分の1になる。8歳の子どもなら8分の1。濃度の違いははおよそ5倍、それが時間の過ぎ去る感覚につながっているのではないか…。これが正しいかは分からないけれど、小学生の時の自分を振り返ると、あながち間違っていないのではないかと思う。
来年40歳という「不惑」の年を迎えるというのに、私は迷ってばかりだ。年齢を重ねるほどに、戸惑い、悩み、自問自答が続く。40歳という年齢は、10代のときも、20代のときも、30代になりたてのときも、いつだって思慮分別があるように見えた。
なのに、現実の私は真逆だ。自宅は仕事量に比例してだいたい散らかる。体の調子がよくなると分かっているのに運動は続かない。いい仕事をした後輩を素直に心から褒められない心の狭さもある。1分でも早く眠ればいいのに、今この瞬間も更新され続ける情報が気になってネットサーフィンもしてしまう。その分、本を読んでいれば相当な読書家になっていたはずなのに。そうなれない自分を、「そのほうが気分転換になるから」と慰める。そんな夜をやり過ごし、充実した明日になるようにと願いながら眠る毎日だ。
明日も楽しい一日になりますように。これを読むあなたも、素晴らしい一日を送れますように。