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あなたが生きている他の人の人生(泣)小泉純一郎が生きた祖父の人生💢

当たり前の法則として、原因+縁=結果がある。
もともと、因子を持っているところにきっかけに触れると結果が出るということですね。
分かりやすく説明すれば、ヒトラーは幼少期に父親に激しい折檻を受けていたという因子を持っています。そして青年時代は、画家になるという夢はかないませんでした。それが政治家になるという縁に触れることによって、憎悪は爆発します。
父親の影響で、「暴力こそ正義」というシンパシーを感じていた彼は、ユダヤ人を大虐殺します。ユダヤ人は、国家を持たない民族として世界中で自分たちの能力を駆使して豊かになってきました。
父親の影響と、自分が才能を開花できなかった逆恨みで優秀なユダヤ人を600万人殺害しました。
このように、憎悪に取りつかれ国家を利用した犯罪の奥には、「自分を正当化」するという深層心理が隠れています。
私は、前世の影響から今世にもたらす結果を説明することが多いのですが、今回は、この人生における小泉純一郎が生きたほかの人の人生について書きます。
祖父又二郎は、軍人を諦め稼業の荷役の口入れ屋に従事するため、全身に入れ墨を彫ります。荒くれ者をビビらせるには、そういった演出も必要だったんですね。

祖父の又次郎

小泉 又次郎(こいずみ またじろう、1865年6月10日〈慶応元年5月17日〉 - 1951年〈昭和26年〉9月24日)は、日本の政治家。第87-89代内閣総理大臣小泉純一郎の祖父。横須賀市長、逓信大臣、衆議院副議長などを歴任した。大衆政治家で、入れ墨があったことから「いれずみ大臣」「いれずみの又さん」などの異名をとった。神奈川県平民[2]。

正妻ナオとの間に子がなかったので、石川ハツが芳江(小泉純一郎元首相の母)を産んだ。

小泉純一郎の母は、又二郎と女中との間に生まれた女の子です。その女の子がたった一人きり、又次郎の子供です。娘芳江は駆け落ちします。

1931年(昭和6年)娘の芳江と純也が駆け落ちしたとき、又次郎は『帰って来い』と、新聞の尋ね人欄に広告までだして。純也と芳江の結婚について、又次郎の養女だった近藤壽子は「本当に大変だったんです。なにしろ駆け落ち同然の結婚でしたからね。芳江さんはハンサム好みで、ハンサムな男性を見るとイチコロなんです。又次郎さんはもっと立派なところから婿を欲しいと思っていたんでしょう、すごく反対して怒ってました。」と述べている。

結局、純也が政治家になることを条件に結婚を許されます。

祖父、小泉又次郎のてかけの子である母の胎内で、純一郎は外の世界を見聞しながら生まれてきました。

子供は、生まれてくるまで母親の胎内で過ごす分だけ、母親の感情や行動の影響をうけます。

てかけの子供は、多くの場合、嫉妬深い正妻に追い出され、路頭に迷うことが多いのですが、又次郎の奥さんは、芸者出身で弱いものの立場のわかる方だったのでしょう。わがままお嬢様に育ったようです。

又次郎は、逓信大臣を務めました。
逓信大臣とは今でいう郵政大臣ですね!


  • 明治憲法の下では、内閣総理大臣が交代しても各大臣の地位に影響は無く、何らの任免発令もないまま引続き大臣の職に留まることも可能だった。

小泉純一郎は、自分達家族が路頭に迷わずに生きていけるのは、祖父の力のおかげだということを母親の胎内にいる時から、いやというほど実感します。そうして彼は、無意識の内に祖父に認められるためだけに生きる事を決意するのです。

郵政民営化と総理大臣になる事だけが、祖父に認められること、祖父に認められることだけが、自分の生き延びる道だと思い込んだ人生。

他に何も考えなかった為に、丸投げした竹中平蔵によるリベラル化が進み、今日の不景気に繋がりました。

また、小泉進次郎が何にも考えてない政治家になってしまったのも、祖父の後ろ姿しか見ていない、家庭内でも姉に子育てを丸投げした影響です。

地位や名誉、お金、權力を優先する人間が、国家の中枢を握れば、私達国民が犠牲になります!

岸田文雄なんて、まさに親の期待に応えようとして失敗した結果の政権になりましたね。

しっかり注視していきましょう!

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