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母娘三代物語 「人生最大のライバルは同性の親である!」親に影響された人生は不幸を連鎖する!PART1

 私が、自分の人生を取り戻すまでには、六 十年の歳月がかかった。両親によって、かけ られた洗脳は、「抑圧や呪縛」という手法に よって、がんじがらめに縛られていて、一生 解けないかに思われた。その洗脳によって弟 は破滅した。家族は崩壊し、実家は無くなっ た。 私は、自分の人生のほとんどの時間を費やし て、その洗脳から脱却しようと闘ってきた。 そして、私が自分の娘によって「抑圧や呪縛 」から救われ、人間としての尊厳を取り戻し ていく過程を「母娘三代物語」として記して いこうと思う。 私は、昭和三十八年に福岡県北九州市小 倉の産婦人科病院で生まれた。里帰り出 産だった。生まれてくる時から、周囲の 大人たちの都合が優先された。私の生ま れてくる日が正月明けになりそうだった。

正月休みを取りたい産婦人科医は陣痛促進剤 を使った。母体の安全とは全く関係のない医 者の都合だった。小柄な母は、帝王切開での 出産をすることになっていた。 が、今度は祖母の都合で「切らないで!切ら ないで!」という声に押されて、医者は、普 通分娩に切り替えた。私の足がひっかかり、 産道から出てこないので、私の頭をくるっと 医者が周すと出てきたと母が言っていた。 生まれる前から散々だった。母には、好きな 人がいたが、見合いで結婚させられた。母の 実家は広大な土地と小作人を擁していた。母 の母は、先妻の子供で当然跡を継ぐと思われ ていたが、後妻の産んだ妹が後を継いだ。 先妻の子である祖母は、石炭の販売会社を経 営する祖父と結婚して、裕福な生活を送って いた。別に実家を後妻の娘に乗っ取られても どうという事でもなかった。それに、先妻と 後妻は姉妹の関係でも会ったから、お互いが裕福なうちは何の問題にもならなかったので ある。ところが、エネルギーの需要が石炭か ら石油にシフトして祖父の会社は倒産した。 もう一度、再起をかけて祖母の実家に融資を 申し込みに行くが「運が切れたのだ。」と断 られた。そして新興宗教の傘下に入り、信者 獲得をするようにという「神のご啓示」を、 受け入れるように強制された。ここから、母 の運命は悪化の一途をたどり始める。 貧乏のどん底に陥った家から、、口減らしの ようにして見合い結婚をさせられる。天理教 教会の三男との結婚だった。婚礼の日、母の 顔を見た信者は、目の前で「あー、この嫁さ んは苦労する。」と言われて、ぎょっとした。 世間知らずのお嬢様が、没落して自分の実家 よりもはるかに貧しい家に嫁ぎ、とんでもな い悲惨な人生を歩むことになる。結婚して四 世帯が同居の家に住むことになった。昔の田 舎の田んぼの田の字の間取りだ。そこに、親 夫婦・長男夫婦・次男夫婦・そして私は、母だけを追いかけて生きてきた。相手 にされたくて認められたくて が出来ずに泣いていたら、その泣いていると ころを取られた。田んぼの中を逃げて走って いたら捕まり唾を吐きかけられたり散々だっ たが母は何も言わずかばってくれなかった。 自分自身を信者や父の親兄弟、近所づきあい から守るのに必死で、私がどんなことをされ ているか、何を思っているか考える余裕もな かったようだ。

そんな私は、母に愛されたい一心でどんな人生を歩んできたのか?
PART2に続く

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