グリコ森永事件・実行犯と過ごした日々の告白。PART1
グリコ・森永事件(グリコ・もりながじけん)とは、1984年(昭和59年)と1985年(昭和60年)に日本の阪神間(大阪府・兵庫県)を舞台に食品会社を標的とした一連の企業脅迫事件。
警察庁広域重要指定114号事件。また、略して「グリ森事件」「グリ森」とも言われる。犯人が「かい人21面相」と名乗ったことから、かい人21面相事件などとも呼ばれる。
2000年(平成12年)2月13日に愛知青酸入り菓子ばら撒き事件の殺人未遂罪が時効を迎え、すべての事件の公訴時効が成立してこの事件は完全犯罪となり、警察庁広域重要指定事件では初の未解決事件となった。
1年前、5月に東京に引っ越して来た。
引っ越し先のマンションで娘が「罪の声」という映画をネットフリックスで見ていて声が聞こえてきた。
グリコ森永事件を題材にしたその映画に一瞬興味をそそられたがもちろんその映画はフィクションでありそんな事実はない。それと同時にその時にやっと若い頃に接触のあった男性が、実行犯だったことにと気がついた。
東京に出てくる半年位前から、私は自分の上手くいかない人生に憤っていた。昔、勉強しかけてやめていた哲学に道を求めてやり直す事にした。
通信コースで勉強を始めた。
懐かしい匂いがした。昭和世代なら、私達が小学生の頃、答案用紙を送ると添削したものが返ってくるという勉強方法を経験したことがある人も、結構いたと思う。
それが今では、インターネットでのやり取りになり、添削だけでなく、先生からの指導もリアルタイムで詳しく受けれるようになった。
哲学や倫理、理性について、深く勉強していくうちに、上手くいかない人生の最大の原因は、自分は無知である+間違った思い込みのせいであることに気がついた。哲学や倫理、理性には、公理がある。公理とは間違いなくそうなるという実証だ。要するに、殺人犯をいくら弁護しても、殺人を犯した事を実証したら、間違いなく殺人犯だというように、逃れようもない真実を学ぶ事で、間違った認識を改められる効果がある。
その中の一つに、グリコ森永事件の実行犯だと気づかないまま、時効を迎え40年近くも経てしまったという愚かな過ちがある。
忘れていた過去の出来事をある日ふっと思い出した。それは、私が21歳の頃に勤めていた北新地のラウンジでの出来事だった。ある日、お客さんが紹介者と一緒にやってきた。私は、そのお客さんに気に入られ毎日のように同伴するようなった。ヒルトンプラザのカフェで待っていると、「せっかく来てくれたんだから何かプレゼントしよう。」といって、毎回、ブランドの時計やバッグを買ってくれた。 お店の帰りに送ってくれる時も私に札束で分厚くなった財布を渡し、「半分持っていきなさい。」とくれた。そうやってそのお客さんは、いつも美味しいものをごちそうしてくださり、ブランド品や現金をたくさんプレゼントしてくださった。私は、いつホテルに連れ込まれるか内心ビクビクしていた。軽いジャブ程度に口説かれたが、強引に迫ってくる人ではなかった。そして、そして、本当に「キツネ目」。不細工だったので、絶対にセックスするのは嫌だった!
それに、あんなにたくさんお金を使うのだから、金に目がくらんでセックスする女性もいるだろうから、私はしなくていいか〜と考えていた。
今から考えたら最低の女だ。
そんな日常に変化が訪れた。
ある日、お客さんが切羽つまった顔で、お店のママにお金を借りに来た。ママは、断り追い返した。それからお客さんは行方不明になった。
その事を思い出し、私はママは酷いな💢散々お金を使わせたくせに助けてあげないんだと腹が立った。自分の事を棚にあげて。
勉強しながら、忘れていた過去を思い出しながら、自分が思っていたことに焦点を当てることができた。そして、それが本当に正しい思いだったかどうか、勉強を続けながらさらに間違いに気づいていく事になる。
「課題」を勉強する。
与えられた課題:24
行くべきではないところに行って楽しんだ出来事を想起できますか?
この課題に対して、私は、そのお客さんとまさに行くべきではない所に行って楽しんだ。
それを事細かに想起していく。
続きは、グリコ森永事件・実行犯と過ごした日々の告白。PART2で書いていきます。
ここまでで興味を持っていただけましたか?
次を、お楽しみに♥