グリコ森永事件・実行犯と過ごした日々の告白。PART2
私は、この事件に蓋をしてきた。人生について学ぶ前と学んだ後では、認識が180度変わってくる。この事については、ぜひとも知ってほしいと思う。
人が人に抱く印象がいかに当てにならないものか?よく、自分の「直感」を信じろみたいな無責任な投稿する人がいるけど、その「直感」がどれだけ当てになるだろうか?
直感に対する異議申し立て💢あなたの直感は本当に正しいと言えるのか?と私は問いたい!
私達が「直感」と呼ぶインスピレーションの危うさを知ってほしいと思う!
私は、哲学や倫理、理性、公理を学ぶ前の直感を信じて、お客さんと知り合い、贅沢をさせてもらった事で、その方を良い人だと信じ、彼の肩を持ってきた。だが、うまくいかない人生の原因究明の為に勉強するようになって、格段に人生の質は向上した。良い人だと思っていた人が悪人だったり、その逆だったということに気が付きました。信頼のしてはいけない人種に信頼されるようになると人生は破滅する。そういう事が理解出来るようになって、体調も良くなっていった。
そこには、「育ち」からくる思い込みをいかに矯正していくか?という問題が大きく含まれている。福岡の筑豊地方で生まれ貧しい家で育った私。
私は、ホイホイ体も提供せずにタダで得た贅沢のお金はどこから来ていたのだろう?なんてそんなことも考えたことはなかった。
ここ数年の話に、北新地のキャバ嬢が詐欺師から相当額のお金を貢がれていた話が話題になっていた。
彼女もまた、人を騙したお金でいい思いをしていた事に対して、いつか回顧する事があるのか?ないのか分からないが、私は、おかげさまで振り返る機会に恵まれた事に感謝したいと思う。なぜなら、人はやましいことをしたと気づきながら過ちを認めるということが出来なければ、その過ちを正当化するために同じ過ちを犯し続けていき、最後は破綻するからだ。
それでは、グリコ森永事件の話に戻って・・・
第6感を磨くために、自分の理性を呼び覚ます為に課題に取り組んだ。
与えられた課題:24
行くべきではないところに行って楽しんだ出来事を想起できますか?
この課題に対して、確かに私は、そのお客さんと行くべきではない所に行って楽しんだ事を事細かに想起する事にした。
私は21歳。お客さんに連れられて、大阪西成の鉄火場にいる。
賭博の鉄火場とは。
「「鉄火」とは、鉄製品を作る時に出る火花や、熱を加えて赤く焼けている鉄そのものを意味する言葉だった。 その熱さや火花から戦場を表す意味でも使われるようになった。 それが江戸時代にギャンブルに熱中する様子にたとえられ、ギャンブルをする場所を「鉄火場」というようになった。
そこは、やくざ映画や時代劇の中でしか見たことのない「鉄火場」だった。二階に上がっていく。お酒もたばこも無料で提供されていた。
薄暗いオレンジの明かりの中で行われている博打。私は、お客さんに促されて座り賭けた。ルールも分からないまま賭け続けていく。私の前にはたくさんの一万円札がおかれていった。たばこの匂いと瓶ビールの匂いがしている。お客さんの中には、やくざだけでなく一般の人もいた。ざわざわとうるさくにぎやかな雰囲気の中で、私は正座して賭けている。
後ろのほうから男性たちの低い声が聞こえる。交換所のような感じで、札とお金をエクスチェンジしている。あたりの重苦しい雰囲気を感じて、外部からシャットアウトされていることを感じる。
私は買ったお金を全部持って帰ったいいと言われ、たばこのカートンケースの中に1万円札をぎゅうぎゅうに詰め込んだ。
「嬉しい!お金がたくさんあるから色々買える!」と私は思っている。なんて最低な、今にして思えば、下品すぎてありえないっ💢自分に腹が立つ(笑)
帰り道、お客さんはやくざに金を貸している金主だと、自分の正体を私に明かしてくれた。
そんなこんなといろいろあって、私の金銭感覚はどんどん麻痺していった。
そして突然、そのお客さんは姿を消した。
が、そうやって私を甘やかす男達は、たくさんいたので特にショックを受けることもなく、いつの間にか忘れていった。
時が流れ、ほとんど思い出すこともなく時間は過ぎていった。そして40年近くたって、娘の視聴する「罪の声」という映画に「?」となり、「それは違う」という反発があった。
この話の続きは、最終回「PART3」で、私がお客さんから聞いた話を書いていきます。
お楽しみに!