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ディック・ミネ、「瀬戸の花嫁」を叱るの巻
私の観た夢の話。
「NHKのど自慢」だと思うんだけど、中年のおばさんが、それはそれはきれいな声で、小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」を歌うんです。
同然、鐘は 「キンコンカンコンキンコンカンコン、キン、コン、カーン」 アナウンサーは、「おめでとうがさいます、合格です」 といつものように駆け寄るのですが、その日のゲスト審査員のディック・ミネさんが、予想もしない、凄く険しい表情で
「あなたは表面上きれいに歌っているだけで、全然魂がこもっていない!!」
と猛烈な歯に衣着せぬお説教をはじめる。
それが延々続くものだから、司会者も番組進行が滞り、大変な事態になっていく…… というのをテレビで私が見ている夢でした。
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この夢は、まず素直に受け止めると、内なるディック・ミネさんという「守護霊」からの 「思い上がるなよ、『自我肥大』するなよ、おまえはまだまだだからな」 という警告のメセージとして、まずは謹んで受け止めました。
ディック・ミネさんというと、まさに酒と女と歌にまみれた人生を送った人で、世間の汚濁にまみれつつ生きていた人という印象があります。 でも、きっと、その歌手が「本物」かどうかを見抜く目は、すごく厳しい人だったんじゃないかと。
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しかし、夢解釈は、ここまででは実はまだ道半ばまで来ていないんですね。 ここからが 「バイアス・コントール」 と呼ばれる部分です。
誰もが、自分の夢を解釈しようとする時、自分自身の日常について、自分が理解するのと同じようなスタイルで理解しようとします。 この例でいえば、自分に自信がない人だと、すぐに、ディック・ミネに吊るし上げを食らう「中年おばさん」の側にあっさり自分を「同一化(identify)」させて、
「自分はやはり見かけだけで中身がないということなのだ。本当はみんな私の中身のなさを見透かしているに違いない」
などと自己嫌悪し、「悪夢」を見たとしか受け止めないでしょう。
そこで、そういう自分自身への通常のものの見方の固着した「偏り(bias)」とは違ったアングルから夢を味わうための刺激剤としての示唆的教示のことを、「バイアス・コントロール」というのです。
ユングには、夢の中の登場人物、それどころか動植物から、家具や岩や壁などの「無生物」に至まで、すべてが自分の「影」、すなわち、すべて自分の分身、今の自分にはまだ実現されていない、自分でも自覚していない成長可能性すらもが現れていると考えます。
「影」というのは決してそれ自体としては邪悪な部分ではなく、その「影」と、その人の関わり方しだいで、その人の「内なる悪霊」にもなれば、その人を更に成長させる方向への「導き手」にもなります。
その意味で、「影」とどう付き合うかは、その人を善にも悪にも導く、大変に慎重かつ厳粛な別れめなんですが。
「自分の中に、夢の中の『ディック・ミネ』的な部分はあるか?」
……ある、ある、おおあり!! 周りの流れなんて考えないで、延々「辛口コメントはさむ」ところとか。 酒と女はともかく、煙草とコーヒーとチョコレートに目がなく、カラオケ好きなのは、私の知り合いはよく知っている。
「実は、ディック・ミネ的な部分が、『まだ足りない』とすれば?」
(爆)「そうかもしれないし、それだけではないかもしれない」(^^;)
そして、次に、敢えて、 「なぜ、『瀬戸の花嫁』か」 にも探りを入れました。
自分の中に「小柳ルミ子」的なところがないか、もできそうだけど、これは略。
個人的には、
> 若いと誰もが 心配するけれど
の部分と、
> 男だったら 泣いたりせずに
> 父さん母さん 大事にしてね
の部分に、私の中の何かか「共振」しました。
今は、それを味わえば、十分です。