劇場アニメ「トラぺジウム」を私は気にいったが
この劇場アニメは、乃木坂46一期生・高山一実が「ダ・ヴィンチ」に連載した長編小説を原作としている。
私はこの作品についての情報ゼロだったし、原作も読んでいないわけだが、同じアイドルものである「推しの子」の大ファンでもあるし、劇場版「ウマ娘」と一緒にシネコンで観るスケジュールは組めるので、観てみた。
アニメ制作会社は、最近では「SPY×FAMIRY」「ぼっち・ざ・ろっく」とヒット作を続けて出したCoverWorksである。
一見して、非常にいい印象を持った。
この映画にはモノローグがない。登場人物の心境や行動の動機については画面から読み取るしかない。このような演出手法をとる映画は、古今東西、いくらでもある。
主人公、高校1年生の東ゆうは、ある動きを始めていた。東西南北、自分以外に3名の女子高生をスカウトする(というか、まずは友達になる)ことである。
1人めは華鳥蘭子。テニス部に所属し、「エースをねらえ!」のお蝶夫人を思わせる。ゆうは果敢に試合を挑むが当然ぼろ負け。しかし性格は常識人で気遣い上手である。
2人めは大河くるみ。高専でロボコン全国大会の優勝に貢献した。まわりのことは気にしない、好き嫌いがはっきりした性格。
3人目は偶然本屋で遭遇した亀井美嘉。実はゆうの小学校時代のクラスメートだが、ゆうは声をかけられて、最初それを認識できずにいた。彼女は整形していたのだ。繊細で人の目を気にするタイプ。じつはゆうのことに憧れていた。障がい児や老人の福祉施設のボランティア活動もしている。
こうしてゆうの目論見通り4人がそろうことになる。
ゆうは美嘉のボランティアへの誘いに乗る。蘭子とくるみも誘う。こうした経験はSNS上でも「絵になる」と考えたからだ。
SNSでの4人組の発信は情報番組の目に留まり、ゆうは3人をアイドルグループを目指す意思をはじめて明かす。困惑をみせる者もあったが3人は誘いに乗る。
情報番組に、4人の活躍を描くコーナーが常設される。そのコーナーは、4人のアイドル化推進計画の場となる。ADが、アイドル所属事務所も紹介し、4人は練習に打ち込む。
初ステージはささやかなものであったが、このステージシーンは絵がぬるぬると動く見事な完成度である。
ところが事件が起こる。美嘉は裏アカウントを持っていて、男性との交際3周年を祝っていたのだ。その写真が拡散される。
ゆうは「チッ!」と舌打ちをし、おいおい泣く美嘉に対してこう言い放つ。
「聞いてない。彼氏がいるんだったら、友だちにならなきゃ良かった」
もともと人前に出るのが苦手だったくるみは狂乱してしまう。こうして4人のアイドルグループとしての活動継続は不可能になる。
あいは、自分は何をめざしていたのか?と、ここに至りアイデンティティの拡散に陥る。実はあいひとりがアイドルを目指す誘いもあったのだが心は動かない。
「私って、嫌な女だよね」
と母親につぶやく。
4人は「散開」(トラぺジウムとは「散開星団」の意)するが、10年ほど後に再び出会うこととなる。実はくるみの同級生だった工藤真司が個展を開いたのだ。
そこにはアイドルになる直前の時期に4人が、それぞれのお気に入りの衣装を借りて揃って撮った写真が飾られていた。
それはまさに・・・
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ゆうの、自分の計画のためなら人を利用する性格についていけないという批評家もいるようである。しかし、登場人物を好きか嫌いかで判断するというのは批評ではないと私は考える。
ゆうがアイドルオーディションを一人で受け、繰り返し落選していた。これ以上ゆうの行動原理について説明する必要はないと私は考える。動機不明のまま物語が動いていくことなど、映画ではありふれている。
ゆうのキャラクターのあまりにも計算高いところを嫌悪する向きもあると思うが、挫折を繰り返した人間の中には、本心を隠して非常に周到に対人関係のコネクションを作り上げ、自分の期待通りの成果を上げようとする人間はいくらでもいると思う。他ならぬ私にそういうところがあるから、よくわかる。むしろ考え抜かれた、計算の行き届いた脚本と演出だと私は感じる。
凡百のアイドルものにはないものを持った、埋もらせるには惜しい佳作だと思う。
この動画の意見におおむね私は賛成する。
こういう、これまでにはない新機軸を持った作品は、公開後すぐに評判がたつことはあまりない。サブスクとかで放映される中で、少しずつ評価が定まってくるものである。
これはエンディングで流れる歌ですが、映画ではちゃんと「4人バージョン」なわけです( ↓ )。ところが、その4人が歌うライブシーンは映画には「存在しない」という・・・
この曲の歌詞を合作したのが4人、という設定。実際作詞したのは原作者の高山一実さん。
↓ 舞台挨拶