ウマ娘の精神分析 第12章 アグネスデジタル -自分がウマ娘なのにウマ娘おたく-


 
●実在馬
 
サラブレッド オス 栗毛
 
1997年5月15日-2021年12月8日
 
両親ともアメリカ生まれ。特に父は7勝、種馬として優秀でした。
 
アグネスデジタルはアメリカで買い付けられ来日。
 
まずは主としてダートで走り8戦3勝、2着2回。この後芝で3レース挑みますが、3着2回と、あと一歩届きませんでした。この後ダートに戻り4戦GII2勝。
 
NHKマイルカップ(GI 芝)で優勝。しかし芝に定着はせずダートに復帰してGII、GI、2連勝。
 
満を持して臨んだ天皇賞(秋)(芝 GI)で、テイエムオペラオーをおさえて優勝。
 
更に香港カップ(芝 国際GI)に遠征して優勝します。
 
この後、芝とダートを往復しながら芝とダート、それぞれで優勝1回ずつ。
 
芝とダートまたにかけての国内外のGIで4連勝というのは空前絶後の戦績とされ、「オールラウンダー」と呼ばれます。
 
引退後の種馬生活でも優秀な子供を作りましたが、昨年(2021年)暮れ、惜しくも亡くなりました。
 
通算成績:32戦12勝(うち芝15戦4勝 ダート17戦8勝) 2着5回 3着4回
 
騎手:福永祐一→的場均→四位洋文
 
 
●ゲームの声:鈴木みのり
 
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ピンクの髪、ふだんから頭に大きな赤いリボンをつけています。
 
勝負服は・・・もう、なんと表現したらいいのだろう。フリフリ、ヒラヒラなんだけど、(リボンがピンクと黄色に変わる)、アイドル系のようでいて、スマートファルコンのような洗練された美意識に欠け、ごちゃごちゃした印象を与えるのは、おたくファッションっぽいということなのかなあ。
 
小さい頃、テレビ中継をモニター越しに観たみたウマ娘の姿に感動して、「二次元」で眺めているのに飽きたらなくなり、3D、解像度無限大で、一緒の空気のニオイも嗅(が)げる、トレセン学園に入ります。
 
「生身の」ウマ娘を「尊い」と感じており、毎日あがめ、祈りを捧げ、推(お)しのレースとライブを地方を巡っても拝観、グッズを買いまくる「聖地巡礼」をし、レース練習という「徳」を積む努力をしています。
 
推しのウマ娘の情報をいくらでも諳(そら)んじています。
 
コミケで同人誌も販売しているようです。
 
レースの練習をするのと「ウマ娘ちゃん」のウォッチングをして英気を養うことの境目がない。
 
自分がウマ娘なのにウマ娘おたくという二重性を生きているわけですが、なかなか選抜レースに出る決心はつきません。
 
それは、彼女の適性が、芝とダート両方に向いているからです。
 
どちらかのレースに出るようになったら、もう一つの適性のレースに出るウマ娘ちゃんたちのおそばにいられなくなる!
 
「私、覚悟決まっていないんです」
 
トレーナーは言います。
 
「君は誰より覚悟が決まっている。どちらかを選ばないという覚悟だ」
 
彼女は、選抜レースで、芝とダート、両方に出場するという、前例のない暴挙に出ます。
 
しかも、それで結果を出してしまう。
 
デジタルは、自分のようなスタンスを理解してくれるトレーナーは他にいない! と、そのトレーナーと契約を結ぶことになります。
 
ただし、トレーナーは、彼女の願望を「投影」され、ウマ娘ちゃん大好きの「同志」ということにされてしまいます。
 
彼女の信条は、「自分は一ファン。尊いウマ娘ちゃんたちとは一線を引くべき」というものです。
 
デジタルは、ウマ娘ちゃんたちの「尊さ」とは何で、それとどう関わっていくのかに悩み続けることになります。
 
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ウマ娘にあこがれ、夢のような世界だと感じていたという点では、デジタルは、スマートファルコンと似たところかあります。
 
しかし、ファル子がファン意識からとっくに「解脱」して、アイドルとしての立ち位置をとることを早くからアイデンティティとしていたのに対して、デジタルは「ファン意識」と、ウマ娘「当事者」になることの矛盾をなかなか解消できません。
 
恐らく次のようなケースを考えてみるといいかと思います:
 
声優にあこがれている女の子がいます。彼女は作品での声の演技、テレビやネットの動画配信を通しての歌やトークにあこがれ、コンサートライブ通いやクッズ集めに明け暮れ、ファンレターやプレゼントは送るかもしれませんが、「おたく」としての一線を守ろうとします。
 
ところが、それだけでは我慢ができなくなって、声優の専門学校に実際に志願し、入学を許されてしまいます。
 
すると、ある日、あこがれの声優が特別講師として現れる。
 
彼女の頭はバクハツして、もう、どう距離を取ったらいいかわからなくなる。雲の向こうの尊敬する存在だから、教壇から遠く離れて教えを請わねならない。
 
しかし、ツーショットも撮りたいし、サインも欲しい。
 
現実の声優養成学校とかで、こうした場合の「お約束」がどうなっているのか、私は知りませんが、悩ましい問題ではあるでしょうね。
 
これは、その人が声優として、最初は端役として、実際にスタジオに入れるようになってからも続く葛藤かもしれません。
 
そういう意味では、ひょっとしたら、この役を演じる声優さんにとっても、結構リアルな、感情移入できる役柄だったかもしれません。
 
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おたくの人というのは、コンテンツの「消費者」であることに自己規制し、二次創作をして、そこから収益の見返りを得ることはあっても、多くの場合、自分がオリジナル作品のクリエイター(生産者)としてのプロになることから、一線を引いているわけですが、そのこと自体はひとつのライフスタイルとして、ありだと思います。
 
しかし、おたくである人間が、「業界」のプロとどう関わるのかという問題は、いろいろデリケートだと思います。
 
オタクの間には、業界の人と安易に接触し、迷惑をかけないという暗黙のルールがあります。
 
それと対応する形で、「業界」のプロの側も、個々のファンの求めに応じたり、接触することを禁欲していることが多いでしょう。ファンレターへの個別の返事も原則書かないでしょう(私は、皆さんが「えーっ!!」と言いそうな、アニメの監督さんから、直筆イラスト入りの返事をもらったことがあります)。
 
AKBグループを端緒とする「会いに行ける」アイドルグループが登場した時、こうした垣根を、敢えて限定的に、厳密な決まりを守る形で開放しました。
 
「推し」との、ひとりわずか数十秒の握手会という形式を設けたわけですね。
 
実はこの点で一線を越えてしまった結果とされる不祥事がいくつかありましたよね。
 
こうした分け隔ては、SNSが発達して、プロ自身がアカウントを開放するようになってから緩んでいるかと思いますが、得てして、ファンとの間の、あるいはファンどうしのトラブルの火種となり、結局アカウント閉鎖をしたり、発信のみの一方向のツールにしたりすることも少なくないです。
 
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いずれにしても、ただのアマチュアの「おたく」で終わるのか、プロを目指すかには、大きな心理的障壁とともに、仲間内での暗黙の「抜け駆け禁止」の抑止力が働くかと思います。
 
例えば、心理学の本の読者で終わるのと、実際の心理系の大学に入り、資格をとって、現場で働くのは、まるで別次元のことです。
 
私は、ただの心理学書愛好「おたく」から、専攻を変え、心理学大学院へと進学したものですから、アマチュアとプロのギャップをいろいろな意味で感じてきました。
 
想像していたのとはまるで違う。統計や実験の勉強もしなくてはなりませんし、正直に言って、カウンセリングの先生が、人格的に成熟しているとは限らない現実もあります。
 
若い頃には、相当なミーハー意識がりありましたね。
 
学会とか研修会で、「わ! 本でしか読んでいないあの大先生が、生身で動いて話している! あとで本にサインもらっていいかな? 名刺交換していいかな? 懇親会で言葉交わしていいかな? 二次会の飲み会に混ぜてもらっていいかな?」
 
これ、遠慮してやらないままでいると、それをやれる人たちからの疎外感と孤独感を感じてしまいます。やってしまおうとすると、「お前、図々しいんじゃない?」という目でみられはないかという不安が生じる。
 
結論から言えば、その先生があまりにお忙しそうでない限りは、声をかけることを躊躇しないほうがいいです。
 
少なくとも、人間が「できた」先生である限り、「今日はこの後時間がない」とか「今日はもう疲れている」とかは率直に言ってくれますから、それに従えばいいだけのことです。

 

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