「未来のミライ」−細田守監督のアイデンティティの確立−
正直心配していたんですよ。細田守監督の「未来」を。
細田さんって、作れば作るほど、だんだん完成度の低い作品になってきている気がしていました。
細田さんの「時をかける少女」は、私が数年ぶりに観たアニメでした。
それで、「今のアニメはここまで技術力上がってるのね」という新鮮さもあったのだと思います。
エンディングの、奥華子さんの「ガーネット」があまりにも素晴らしい曲で、余韻に浸らせてくれたのも大きいと思います。
(このエンディングをTV放映時にカットしていた時もあると伝え聞きましたが、アホか!! と思いました)
続く「サマーウォーズ」は、当時の恋人とのデートの時に、映画館で一緒に観た作品ですが、恋愛要素こそ「時かけ」より後退しましたが、娯楽作品としての完成度は非常に目覚ましいものがあったと思います。「感動した」、というより「面白かった」。
あの「花札決戦」なんて凄いアイディアと思いましたし。私はとんと花札のことはわからないけど、それでも楽しめた。
「サマーウォーズ」については、すでにエントリーを公開当時書いているので、こちらをご覧ください。これでも精一杯深読みしたつもりです。
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ところが、「おおかみこどもの雨と雪」に至って、「あれれれ・・・」と思い出した。言いたいことはそれなりにわかるけど、新海誠作品と比較すると顕著な人物作画の平面性が気になって気になってしかたなくなった。
親子関係の物語としてもまだまた描けるぞいう感じ。宮崎駿さんを意識し過ぎかなとも思った。
次の「バケモノの子」に至ってはどうにも迷走。ファンタジーの想像力としても、画面の力がなさ過ぎ。
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そういう不安の中で観た「未来のミライ」。
しかも私の贔屓の新海誠監督の「天気の子」と同じ日に観て比較するという過酷なコンディション。
・・・結論から言おう。
「えっ、もう終わるの? くんちゃんのミライももっと共にしたいのに。・・・でも、そこまで描かないのが、いい余韻かもな・・・」
私も、離婚したが、子供には二人恵まれた。
しかも長男はくんちゃんと同じ4歳まで一緒だった。
下の子は弟で、未来ちゃんのような女の子ではなかったけどね。
長男は、くんちゃんと同じで、「プラレール至上主義者」で、ともかく列車の形式に詳しかった。
・・・まあ、それは、些細な思い入れに過ぎないのだよ。
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この作品、これでも、セリフによる説明、そこまで絵解きしてくれなくってもいいよという感じ。セリフなしても、くんちゃんの心の動きや、この家族に代々継承されたアイデンティティのことは、クスクス笑いながら読み解けると思うよ。
観客の楽しみを奪わないように。親切過剰。
登場人物の変容した姿が誰かなんて、うふふと笑いながら、見え透いてるじゃないの。
くんちゃん、4歳児にして自分のアイデンティティ自覚出来すぎ。
細田さん、やっとこの作品と共に、新海監督とは全く異なる表現様式に到達できたんじゃないかな。
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エンディングの山下達郎さん、ここまでこの作品のテーマ、「解説」してくれなくていいって: