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心理学的考察

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私のカウンセリング観を書いていきます。
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2022年1月の記事一覧

自分が入れなかった進学校の入学直後に課せられる60キロのマラソン大会に心の準備が全然できていないという夢をみた。すぐに意味は解き明かせた。
夢の理解の専門的スキルには絶対的な自信があるが、リアルな現実を再認識する上の鏡だとつくづく思う。
ホント「過酷なマラソン」になると思う。

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私の生き方と心理学って、基本的に「うらやましい」をキー・ワードとしているようです。

何のかのといって、なぜ私は結構健全に育ってきたのだろう?

私自身が若い頃、女性への劣等感のかたまりの「弱者男性」そのものだったから思うのだが、男っ…

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北山修「幻滅論」からの連想

「無意識」というものを他の人が「言い当てる」ことは不可能だと思う。そうした「言い当て」は…

政治的・思想的主張の内容がどうであれ、それがムーブメントになった時、すべて権威主義となり、理性を失うと思う。一匹狼である覚悟は不可欠かと。
仮に他の人との連帯が持てても、個人単位ででしょうね。しかもその人とすべての点で見解が一致するわけではないことに耐える覚悟がいる。

自分に自信がないということの背後には、自分自身への厳しさがある。そしてその厳しさの背後には、自分自身への、熱烈なまでの愛おしみと愛情がある。
これ、久しぶりに、意識的に自分自身に #フォーカシング 施してみて気づいたこと。
論理や理屈では到達できない洞察を得られるのが醍醐味です。

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Social Phobia(社交不安障害、社会不安障害)について

私が若い頃、学生相談をしている時にはあたりまえの概念で、実際そういう主訴の人も多かった「対人恐怖症」という言葉そのものを目にすることがなくなったのはどういうことだろう?・・と、ふと思った。 対人恐怖症は、英語では"Social Phobia"というのだが、調べてみたら、現在のDSM-5では「社交不安障害(Social Anxiety Disorder)」あるいは「社交不安症」と訳されているようである。 しかしこの訳語は流通しておらず、「社会不安障害」と訳されていたのではな

占いや開運グッズにこだわることの長所と短所

占いや開運グッズに凝り出したり、オカルトに関心を持つようになった人は、得てしてそれを家族…

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カウンセラーは、自分の欠点について絶えず気づき続ける訓練は受けてはいるが、決して…

何回か書いてきたが、心理カウンセラーというだけで何か「人格者」であるかのように思い込む誘…

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心理カウンセラーが、有資格であることの意義を喧伝することによる「反作用」をどこま…

クライエントさんからの「陽性転移」(理想化)が何らかの形で破綻する時に、うまく対応できず…

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何回もいろいろな治療者に救いを求めてさまよっては失望を繰り返してきたクライエントさんが、治療者の「あら捜し」に卓越してくるのはある意味で当然のことである、それを、クライエントさんの生育歴に基づく病理の深さ、ましてや「パーソナリティ障害」とすら言い出したくなる誘惑には用心すべき。

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山崎孝明 「精神分析の歩き方」総評

心理カウンセラーは、その専門的学習・研修の過程で、まずはある特定の「心理療法」流派のオリ…

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山崎孝明 「精神分析の歩き方」短評

第9章「モチベーション論」は、心理専門家が、どのような領域で、どのような雇用形態で働いて…

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フォーカシングと創造性

私の目からみたら、精神分析系の人は、文学的というのに近い「華麗な」概念を「ユニークに」使えることにほとんど自己愛的に酔っていて、そういう次元での論争に明け暮れているように思えることがあるというのは偏見だろうか。 そもそも、いわゆる力動心理学と、認知行動療法や行動療法と対立的にとらえるより、むしろ実践的にみてそこに生起する現象が「共通の」ものであり、そこに別の「説明」を与えているのではないかという視点も重要だと思う。 心理療法の学派の違いなんて実は現実のカウンセリングにはほ