町の栗材で我谷盆をつくる その①
「1月28日に上分で栗の木を切るって」
そう連絡をもらって駆けつけたところ、斜面に沿って横たわる小さな段々畑のいくつかに大きな栗の木が切られて転がっていて傍にチェンソーを持った若いご夫婦と友人がいた。「今日はお世話になります。」と挨拶をする。ご夫婦の夫さんと面識はあるけどちゃんとお話ししたことがない。奥さんに会うのは初めてだ。木を譲ってもらうと、こうした出会いが増えていく。私はこれがグリーンウッドワークの醍醐味だと思っている。木をもらわなければかなわなかった出会いだ。
嬉しいことに栗の木はすごく太かった。ようやく念願だった町で生きた栗の木を使ってお盆が作れる。徳島は山にもあまり栗の木がなく、あっても細長いのでお盆の材料としては少し幅が足りない。なので太いものがもし手に入るとしたら果樹として栽培されていた木が伐られるタイミングのほうが確率が高いと考えていた。ビンゴだ。
分けてもらえる栗の木はやはり果樹として長年栽培されていたものらしい。丸太は太く、ものすごく立派だった。大事にされて、毎年栗をたくさん実らせていたんだろうな。お役目を終えて切られた栗が、今度はお盆になって長い年月を生きるよ。
どこを切ろうか?と言ってもらい「選んでいいの?!」と嬉々としてなるべく太い根元の方を所望した。太い部分で作るとより大きなお盆が作れるのだ。友達とお仲間は私が必要な分チェンソーで切ってくれて、しかもそれをついでに運んでくれるという。なんていい人たちなんだ。。本当に、本当にありがとう〜〜!
そうして持ってきてもらった丸太がこれ。めちゃくちゃでかい。一人では持ち上げることはもちろん、転がすことも困難なほど。まだよく湿っていてお盆彫りのためのコンディションもバッチリ。
そして迎えた2月21日。これを女が2人で割る!!最初は手持ちの道具でえっさほいさとやってみた。しかし歯が立たない。ぴしりともいわない。私は幸運なことに森林文化アカデミーで森口信一さんから我谷盆作りを習ったが、その時も栗の丸太を鉄の楔と鉄のハンマーで割っておられたのを思い出す。
ああ、これは道具!道具があれでないと歯が立たん!これはさっそく頓挫か?やらかしたかな?と思ったけれどせっかくなのでそのへんにいた人たちに声をかけてみることにした。
「ねーおうちで薪ストーブ使ってる誰か、鉄の楔とハンマー持ってない〜?」ここはコワーキング施設なので建物の中に人がいる。そしたら友達の一人が「うちにあるよ」って言うではないですか。まじかね。貸して〜!!というわけで借りられた!
こういうところが山暮らし、神山暮らしの面白いところなんだよな。。鉄の楔はとっても便利なので、私も空き家から出てきた楔を分けてもらえるよう移住チームにお願いしとこうかしらね。
彼女は助っ人のもじゃ。友達で、もじゃハウスという農家民宿のオーナーで、グリーンウッドワークを楽しむ仲間の一人です。もじゃと栗のでかい丸太を二つに割った!!
さて、丸太をふたつに割って終わりではありません。ここからさらに何度も割って板にせにゃならん。電動木工機械のなかった時代、長い板を作りたかったらその長さ分、割って、削って(はつって)板を作ってたんだよなぁ。。どんだけ時間と手間がかかったことか。。と遠い昔に思いを馳せますが、今でもやればできる。私たちの身体にはそれができるし、今まだこうして道具も知恵も残っている。つまり最早やるかやらないかの話なのだ。
そして作った板がこちら。くたくたのへとへとですが爽快感も達成感もすごかった。でもこれまだ材料を調整しただけでプロダクトには全然なってない。さらに面白い(=めっちゃ大変)なのはここからよ。ここから。
さて今日の本丸にいきましょう。くったくただけどここからさらに面白い工程が続きます。我谷盆を彫るのです。
我谷盆というのは栗の生木を彫って作るお盆のことです。お盆の内側に走る丸鑿の跡が美しいお盆をどこかで見たことがありませんか。あれです。
さぁここからどうなっていくのでしょうか。どんなお盆ができるのか、続きはまた今度!