彫刻は見る方向で印象が変わる
息子は小1から6迄スポーツ少年団に入っていた。
私はその間学年まとめ保護者代表補佐→保護者代表と役職につき、誰よりも練習試合等の情報が(保護者の中では)入って来ていた。
※もう一人いた代表の方はフルタイムの幼稚園教諭だった為日中等の連絡は無理との事だった。私も仕事はしていたのだがフルタイムの正規で無かった為。連絡すること多すぎて、行き帰りの大井町線は割にずっと携帯や後の初代famaスマホで文言考えながらせこせこ連絡メールを打っていた。余りの多さに閉口して、GWには家族で三浦海岸に旅行だと宣言して(実際行ったけど)電波が届かない体で情報を遮断して安らぎを求めた。
それでも我が息子はぶっちゃけサッカー下手で、忖度なんかでAチームレギュラーには選ばれんだろうなぁ、実際Bチームは妥当だなと思っていたし、Aチームエースの○○君のママは元小学校の教諭で応援になると人が変わる位熱心だったし、旦那も小学校教諭でその当時は渋谷区の教育委員会所属だったが(あれは実は却ってエリートコースと判明)サッカーコーチやってて、練習試合をビデオで撮影して、帰宅してから毎回反省会を息子とやっちゃうくらい熱心だったので、「下手くそな息子がAチームに上がってミスしたら何言われるか分からん」と思っていたけど、それでも練習試合の招集がかかる度に(今回はBのメンバーは無しか。Bも同じ部費払ってるけど、何も還元なしか。また普通の練習か。それなら休んでどっか連れて行ってあげたいし、私もサッカー以外科学館とか行きたい。こういう思いはもう一人の保護者代表には無いだろうな。なんたって○○やはチームNO.2の実力でうちの学年のキャプテン。ただ性格悪いし、いじめっ子タイプ。うちの息子とは仲良く全然ない。眼中にも入ってないと言った方がいい。母親もそういう人への配慮は無い。幼稚園の副園長先生なのに苦笑。大体保護者代表になる前に、監督に相談したら、「親が頑張ってる姿をみたら子どもも刺激を受けて、○○○も頑張ってやってくれるんじゃないですか」みたいな事を言われたから、バカだから素直にそう思ったけど、大体センスが無い奴がどんなに努力した所でたかが知れてる。サッカースクールに迄通わせたてみたけど、何処まで上達に反映されたのか不明)と、うやむやした思いを卒業まで心に秘めて笑顔で接していた。
それでも、最後迄辞めなかったし(辞めたいと言われた事もあるけど、最後迄やり遂げないと何か悔しかったし、辞め癖がつくって散々女のコーチから聞かされてたから。が辞め癖って何だよ。別に嫌ならやめても全然いいのにね)おまけに最後の最後、団卒業の送別会と送別試合には息子がインフルエンザになって出られないわ(しかもうちのマンションと目と鼻の先の会場なのに、お弁当を届けてくれるとう連絡もなし)他の学年のママからも「○○さん可哀そう」って同情されたけど、だった弁当位もってこんかい!誰が発注した弁当2つ食べた?だったし、インフル中だから買い物もこっちも簡単に出れないし、前年はあんなに苦労して上の学年を私も送り出したのに、息子の出てない大会のメダルなんて貰ってもちっとも嬉しくないわ!!踏んだり蹴ったり。最も6年生の後半以降は都立の一貫校受験の為お休みしていたので、息子は暫く遠ざかっていた。最後の大会は「開会式」に参加したのみ。仕方ない。
そんな陽も当たらないサッカー少年団時代なんて、さぞかし面白くなかっただろうし、チームでも浮いていたのかな?と心配してたけど、随分経ってから
「○○○、サッカーを辞めたいって言って来た時にすぐじゃあ辞めようかって言ってあげないで引き留めてごめんね。さっさと見切りをつけて他の事したら良かったね。貴重な時間だったのにAチームにも上がれずに悔しかったでしょ、ずっと。」
「え、別に俺はBチームで楽しかったし、Bチームの仲間とワイワイやるサッカーが好きだったから。寧ろAチームに上がってプレッシャーの中でサッカーやる方が嫌。Bで感謝してるし」
え?Bで良かったの?! Aチームに上がれずに、下の学年と一緒で可哀そうだと思っていたのは私だけ(親だけ)だったのか!!!!!
確かに息子は今でもサッカーが好きだ!!好きなJリーグや高校サッカーの東京大会や全国大会の決勝を私と(笑)観に行く位観るのも好き
超衝撃で、目からうろこな発言だった。
良かれと思った事が全て良い訳ではないし、可哀そうと同情したことが本人にとってはちっとも可哀そうでなくて、寧ろサッカー楽しかった発言につながるとは!!!(純粋にサッカー楽しめた)
では、この子の6年間のサッカー少年団は無駄では無かったのだ!!
と思い込みが変わった瞬間であった。
それは中学のバスケ部でも同じなのだが(『黒子のバスケ』に嵌った息子がバスケ部に入ったけど、後に都大会に出る位うまい選手が廻りにいて、またベンチだったので、またか!!だったし、中学2年の夏休みには練習行かずにさぼってたことが判明し、顧問の若い男の先生に話し合いという名の呼び出しを食らって、2人で結論出して、辞めずに最後までバスケもやった。最後の色紙は『先輩とは沢山どの先輩よりもバカ言って話した』『先輩とは練習の一対一で良く組みましたよね。他のどの先輩より話した』とか相変わらず練習や同級生のエリートたちからよりも、後輩と楽しんでた息子の姿が見て取れたし、顧問の国語の先生からは、息子が作文コンクールで学校内の選考に通り、区の優等賞を貰った事も含めて、『○○とはいろいろ話ましたね。○○が部活を引退した後も頑張ってると□□先生から聞いてます。必ずその経験は後に活きます』というメッセージを貰い、本当に感激した。今でも色紙を見ると思い出して泣ける。中学は私は辞めたいと言った息子を引き留めずに顧問の先生との話し合いに託したので。
高校は都立に落ちて、測らずも通うことになった私立の男子校が偶々バスケの強豪校だったことも有り、科学部に一人で入部して、楽しくやっていた(が最後迄学年で科学部は息子一人。勿論友達も誘ったみたいだし、私も特進の保護者会で皆さんを誘ったけどw)高校の体育は、ほぼバスケかサッカーで、各自がどっちか選ぶのだけど、サッカーもバスケも一応経験者だったけど、バスケ人気が↓だったので、バスケばかりやっていて最後の球技大会でクラスの選手として出るはずだったのに、捻挫でこれまた出れずに(前年度まではサッカーで無く西湖でのマラソン大会だった)担任に異装届等の件で連絡したら「バスケ上手なんですね。初めて知ったけど、(オイ)今回の球技大会出れずに残念だったですよね」と同情された苦笑。
それ位息子はバスケもサッカーも実は素人から見たら「上手い」レベル位なっていたし、楽しんでいたので「サッカー経験、バスケ経験も無駄では無かった」と今でも思ってるし、息子の事を誇りに思ってる。偉い!息子!って彼は彼なりに場所を見つけて仲間ともうまくやってるんだ。ずっと友達とうまくやってるのか?とか心配していた私があほみたいだ。実際担任の先生から一度も問題あると言われたこともなくて、電話も掛かってきたことがない。極めて平凡で平和な息子。二度電話があったけど、体育のサッカーの授業で接触したということで相手のお子さんがけがをしたということで菓子折りもってお詫びに行った事、教室で自分の机の上に白いチョークの粉がかかっていて茫然とした息子を見た○○(札付きの悪)がニヤッと笑ったのを見て手を出し、食ってかかって行き、相手のシャツが切れた事、その二回位だった。
後から冷静に話を聞くと「息子悪くないじゃねーか」だったし、寧ろチョークの粉は「いじめ?」と疑うような行為だったし遣るやつ最低で、屈しない息子に成長したな~と思ったけど、口で言い返すか無視するに限ると息子には話した。誤解されないように、きちんと冷静に話した方が自分が得だよって。
でも息子の言葉と行動に、ずっと私が息子に話してきた
「自分がやって嫌なことは他人にもするな」
は分かっていてくれてるのだな、と一人っ子で寂しい思いもしただろうに、従兄も遠かったり、年が離れているので、常に一人かと思ってたけど、
全然一人では無く、ずっと自分のポジションを分かって友達とそれなりにやってる息子に誇らしい気持ちになってる。
今でも「(。´・ω・)ん?」と思う言動はあるし、甘ったれな息子だし、スタートダッシュだけは得意な息子だけど、彼なりにずっと中2の時から行きたい!と言った「化学」の道に大学では(受験は散々だったけど)進んで、大学院では、やはりやりたい研究室が無いから外部受験をするっていう息子を今でも応援してる。
思い込みって沢山私もいまでもあるけど、息子に教えられる事が多いし、鬱や脳出血にもなったし、嫌な事が育児にもそれを取り巻く事象でも沢山ある(あった)けど、子どもを育てて、私が鬱から立ち直ったのも息子の
「ママはママのままでいいんだよ」っていう保育園児の言葉だったし(子供載せ自転車で後ろに息子が乗ってた時に行った言葉。本人は覚えてないし、そこまで意図していった言葉ではないけど、私がはっとさせられて、立ち直らなきゃと心から思ったきっかけになったのは間違いなく、息子のその一言。今でも言われた時の光景がぼんやり浮かぶ。
子どもは宝っていうけど、そうか?って思ってたし、不器用だから一人でいいし、旦那も13歳上で「介護に行くつもりか」と親に言われたので、悔しかったけど、でも確かに子どもは作っても一人でいいや、と思って、それでも子育てだけに熱中すると子どもを支配しそうだから、他の場、仕事をもってバランスをとろうとしたけど、鬱になって辞める羽目になるし、踏んだり蹴ったりと思ってたけど、かけがえのない時間をくれた、神様からの贈り物だと鬱の事さえも、健康に留意しなよとまた脳出血の時でさえも何かのメッセージかな?と勝手に思ってる(デブで健康管理が出来てなかっただけだけどww)
人生って何がどういう結果になるか本当に分からない。
どこでどういう縁が繋がるかとかも。
思い込みを捨てて、一歩引いて冷静になって事実を事実と捉えて、脊髄反射で怒ることなく(瞬間湯沸かし器だけどww)ありがたく他人の忠告を聞く、母からの耳の痛いアドバイスを聞く耳を持つ
それがこれから先も自分の人生に必要だと思ってる。
私の思い込みが変わったことは、「子どもからの言葉」だった。
息子ありがとう!!自分が後悔の少ない人生を!この先は失敗しても誰も助けてくれないよ。でも死ななければ何とかなる!生きる手段は沢山ある。
演劇をあきらめた私のように後悔することなく、自分の信じる道を進め!
愚者でもいい
ファーストペンギンでもいい
セカンドペンギンでもいい
平凡でもいい
自分の選択には自信と謙虚な聞く耳をもって生きていって欲しい
そう願わずにはいられない
人を信じて「見守る」事はとても難しい
どうしても自分の「ものさし」で判断しがち
高校3年時の担任にも
「お母さん、余り急かさないで。彼の言葉が出てくるのを待ちましょう。それは宝物のような時間ですよ」と言われ「見守る」事の大切さを先生との三者面談で教えてくれた。その先生の穏やかに諭すような瞬間が今も忘れられない。
都立落ちて、この高校に来たけど(全然息子は来たい訳でないし、まして隣は超エリート校の○○高校とか同じ駅の高校はレベル高くて息子の高校だけが偏差値が低い学校。元NHKアナの登坂さんの母校)この言葉を聞けただけで、この学校に来て良かったな、と思わせてくれた一言でした。
思い込みってありますよね。
ラベルで物事を決めつける位ばからしい事はない。
心からそう思ってます。
「彫刻は見る方向によって印象が変わるんです」
はくらもちふさこの漫画の普通の一コマでのセリフですけど、読んで以来ずっと私の心に残ってる言葉です。
人は見たいものを見たい様にしか見ない生き物だ
それが人間というものの性質
それを見事に感じさせてくれたのが息子の一言であり、担任の先生の一言でした。
言葉って本当に不思議。
※今年の春その高校から悲願の東大が出たのをHPで見てびっくりしました