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化粧をして男物の服を着るわたしは、永遠に「少年」ではいられない

InstagramやWEARでフォローしている好みのファッションのアカウントの方たちは、いつのまにかみんなわたしより年下になってしまった。竹宮惠子『風と木の詩』のジルベール・コクトーにいまだ憧れ続けるわたしは、「年相応」になれないまま30歳まで2年を切っている。

30歳は節目の年齢だ。別に30を越えたからといって突然老け込むわけではないけれど、理想像の「美しい少年」からますます遠ざかってしまうことだけはたしかである。

いちばん最初の決定的な絶望は、初潮が来た日だった。小学校5年生で、保健の授業でもまだ第二次性徴について扱う前だったが、わたしは図書室で読んだ本で知っていた。身体が女になること。子供を産む準備がはじまること。

鮮血に染まった下着の色と、その錆にも似た生臭いにおいに、吐き気を催したのをよく覚えている。買い物から帰ってきた母に申告して手渡されたナプキンの、薄紙から剥がすときのぺりぺりとした屈辱的な音も、装着したときのごわごわした感触も。それらすべてが、わたしが「わたし」でい続けることを阻害した。

まもなく陰毛や脇毛が目立ち出し、伸びるたびにわたしは異様なほど神経質な頻度で処理をした。薄くやわらかな皮膚はしょっちゅう剃刀負けをして血を流したけれど、そんなことはどうだってよかった。

それでもまだ、「少年」を「装う」ことはできていた。髪を短く切り、体のラインを拾わない男子のような服を身に纏えば、違和感なく「少年」でいられたから。低い身長と童顔と幸いなことにそれほど大きくならなかった乳房のおかげで、「ボーイッシュな女の子」を隠れ蓑にできていた。そして今、その隠れ蓑さえ奪われようとしている。今度は「老い」という、生きていく上で抗うことのけっして許されない絶大な力でもって。

二度目の絶望は、25歳を過ぎたあたりだったろうか。額や鼻を中心にできていたニキビは、いつのまにか頬や顎に移動した。日焼けしにくい青白い肌は、少し黒ずんでも冬がくる前には元に戻っていたのに、そのスピードが遅くなった。目元や口元の笑いジワが目立つようになった。だいすきなJUDY AND MARYをカラオケで歌うとき、高音を出そうとすると喉が引きつるようになった。

細胞から組み替えられていくように、わたしの身体は刻一刻と変化していく。スキンケアに気を使っても、日焼け止めをこまめに塗っても、サプリメントを飲んでも、止められない。

もうすぐわたしは、男物の服が似合わなくなってしまう。ジルベールみたいにキラキラした瞳とつるりとした肌、赤い唇を演出する化粧も。明るくブリーチした髪も。釣り合いが取れなくなってしまう。追いつけない。ただの「奇抜なおばさん」になってしまう。

年齢を重ねるごとに、そのことを突きつけられて悲しくなる。「老い」の前でわたしはなすすべもなく、静かに声を殺して泣くことしかできない。うろたえ、とまどい、茫然と立ち尽くす。

「男性」になりたいわけではない。わたしは「少年」になりたいのだ。ペニスが欲しいんじゃない。でも乳房の膨らみは重くて辛い。中途半端で曖昧な身体を望み、どちらにもカテゴライズされたくない。いつだって、男にも女にもなりたくない。中性にも両性にもなりたくない。「少年」として男性と寝て、女性と寝たい。

いったいいつまでわたしはグリッターでキラキラにした瞳が、古着のカーハートのデニムが、似合ったままでいられるのだろう。母親には20歳を過ぎたあたりから、「そんな子供みたいな格好いつまでもしとらんと、もっとお姉さんらしい服着なあかんやろ」と嗜められることが増えた。それでも、若さから自信があったわたしは、「ボーイッシュな女の子」という隠れ蓑を持っていたわたしは、「似合ってるからええんや」と振り切って玄関のドアを開けることができていた。

わかっていたのだ、最初から。ジルベールになんてなれっこないことくらい。いつかは「少年」を「装う」ことすらできなくなってしまうことくらい、ちゃんと知っていた。知っていたけど、無視するしかなかった。そうじゃなければ生きていけなかったから。

もうすこしだけこのままでいたい。30歳を越えたとき、「少年」ではなくなってしまう自分の身体との折り合いの付け方を考えなければいけなくなるそのときまで、わたしはまだこのまま、化粧をして男物の服を着る「少年」のままでいたい。

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