循環する人生
今、介護施設で暮らしている義母の話。
夫はアメリカ人のお父さんと日本人のお母さんの間で生まれた。
お義父さんとお義母さんは夫がお腹にいる時に離婚。
小さいお兄さんとお腹にいる夫を連れて日本へ帰国。
それからは女手一つで兄弟を育てた。
と、いうと話は美談のように聞こえる。
当時の世の中ではハーフはいじめの対象。
夫もお兄さんも相当いじめられたようだ。
お母さんは夜の商売で生計を立てていたが、生活はとても苦しかったと。
夫の話でランドセルも買ってもらえなかった。という話が胸を刺した。
当たり前のことが当たり前じゃない暮らし。
それからお兄さんは非行の道一直線。
夫はそれを目の当たりにしてから、自分は早くから独り立ちすると決めたと言っていた。
お兄さんは中学卒業後に東京へ行った。
そこでバイク事故に遭い帰らぬ人となった。
アメリカのお父さんはものすごくそれを悲しんでいた。
アメリカ社会はステップファミリーが当たり前。
離婚して帰国した3人のことも気にしていた。
お腹にいた夫には会うことも話すこともなかったが、ずっと気にしている。
お兄さんが亡くなった後、夫とお母さんはアメリカへ行った。
親子の初対面が実の兄の訃報で会うというなんとも言えない出来事。
帰国後、夫が高校卒業後の進路をアメリカ留学という選択をした。
お父さんの家でホームステイ。
当時は英語も話せず、コミュニケーション不足で夫もお父さんもストレス。
1年ほどで帰国。
それからはお義母さんとは連絡をとっていたようだが、夫とは無し。
私と結婚し新婚旅行は私の提案でアメリカのお義父さんのところへ行った。
お義父さんはずっと夫が自分を恨んでいるのではないかと不安を口にしていた。
今現在もそれは続いている。
が、今の社会SNSや翻訳アプリで昔以上のコミュニケーションは取れていると思う。
夫も当時はよく思っていなかったが、今は特に思っていないと。
今、お義父さんは新しいファミリーに囲まれ幸せに過ごしている。
一方、お義母さんはというと・・・
昔から車移動ということもあり、あまり歩かず足腰が弱い。
腰も曲がり、歩くのも辛そうだ。
一人暮らしをしていたが、頻繁にころんだりして夜中に呼ばれることもあった。
そのため、行政に相談し介護施設に入所できるようになった。
入所まで何年かかっただろうか。
夫は私にお義母さんの世話をさせたくないと、自分で全てやっている。
たまにできない時は頼まれるけど、本当にたまに。
そのお義母さんの件で施設から夫が呼ばれた。
もう入所してから2年くらい経つが、呼ばれたのは初めて。
電話で内容は少し話は聞いていた。
お義母さんは
・施設に併設されている病院からの薬を飲まない。信頼関係がなくなった。
・ヘルパーさんの好き嫌いが激しい。
・入居者さんとの人間関係に問題あり。
などなど。
施設の方も業を煮やしたようで、お手上げ状態だと。
お義母さんはそれを聞いて泣いて謝罪。
夫は施設の方や病院の先生、入居者さんに申し訳ないと。
お義母さんの姿を見て、情けないと言っていた。
これからは家族のサポートがもっと必要です、と言われた。
私もできることはするつもり。
でも…
お義母さんは夫が幼少の頃に大変な想いをして過ごしたことなど覚えていないのだろうか?
いつも「私をよろしく。」と夫に言う。
私は疑問を持ちつつも、親としてのあり方を考える。
私は自分の子供には頼らないように、大抵のことは自分でできるように。
子供たちに「いつも元気だね〜」と言われるように。
人生には自分の手ともうひとつの手がある。
自分を助けるためと他者を助けるための手。
人生折り返しすぎて、子育てもひと段落して、さぁ次は親孝行。
循環する人生。
中心には常に自分がいること忘れないように。
Love the life you live. Live the life you love.