あいさつができないと「やばい」理由
昔の日本や外国の挨拶
挨拶の重要性を理解するためにも、「昔の日本での挨拶」や「海外での挨拶文化」にも少し触れておきましょう。
昔の日本では、日本人は、道行く人々には誰にでも、たとえ、見知らぬ人でも声をかけていたそうです。挨拶できない人は「恥」とされ、一人前とはみなされませんでした。鎌倉時代の武家では、「誰であれ、目にした人に対しては必ず礼儀としてあいさつをすべきである」とルールが存在したほど、挨拶は昔からとても重要視され、確実に身に付けるべき教養の1つとされていました。
次に、海を越えての挨拶について。私が生活していた南米アルゼンチンでは、初対面であろうと、男性同士は握手やハグ、異性の場合は初対面でも、「べシート」と言って、頬にキスをします。
オーストリアでは、ドイツ語が母国語として使われていますが、ドイツ語の「こんにちは」である「グーテンタグ」とオーストリアで挨拶をしても「グーテンタグ」とは返事が返ってこないそうで、100%「グリュースゴット」という言葉で返ってくるそうです。「グリュースゴット」とは、「神のご加護を」という意味で、カトリックの国であるオーストリア独特の「こんにちは」が使われているそうです。このように、挨拶は時代や国を越えて、その国の文化と密接に結びつきながら変化をとげていきました。「挨拶のない時代」や「挨拶のない国」は存在しません。
私が挨拶を子供に身に付けてほしい理由
子供たちがこれからすすんでいくコミュニティ(中学、部活、地域、社会…)では、「挨拶のできない人」が温かく迎え入れるほど寛容ではないし、「挨拶のできない人」に「挨拶をしようよ」と言ってくれるほどおせっかいでもありません。そして、僕の肌感覚ですが、海外では「挨拶できない人」に対して日本よりも、もっと辛辣な評価がされます。将来のある子供たち、グローバル化された社会で働く子供たちにとって挨拶は、コミュニケーションの入り口、そして、ワールドスタンダードの礼儀の一つとして今のうちに確実に、身に付けておきたいものです。
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