希望の灯り(感想)_現代社会は幸せのハードルを上げ過ぎ、と優しく諭される映画
トーマス・ステューバー監督による2018年作品、ドイツ映画。タイトル原題は In den Gaengen(英語では In the Aisle)「通路で」という意味らしいが、邦題の意味がぜんぜん違うな。以下はネタバレを含む感想となる。
<ストーリー>
内気で引きこもりがちなクリスティアン(27歳) は、ある騒動の後に建設現場での仕事をクビになり、在庫管理担当としてスーパーマーケットで働き始め、レジでの雑踏やフォークリフトなど、自分にとって全く未知の世界に放り込まれる。そして彼は飲料セクションのブルーノと出会う。
ブルーノは、クリスティアンに仕事のいろはやフォークリフトの操縦の仕方を教え、クリスティアンにとって父親のような存在になる。
クリスティアンはスイーツセクションの同僚のマリオン(39歳)と出会い、彼女の謎めいた魅力に一瞬で惹かれる。コーヒーマシーンのある休憩所が彼らのおきまりの場所となり、二人は親密になっていくが..
優雅なワルツの似合う、夜の巨大スーパーマーケット
舞台はコストコのような巨大スーパーマケット(日本の街にある小さいスーパーではない)で、人の3倍ほどの高さに商品が積み上がっており通路も広いので上の棚にある商品はフォークリフトで在庫管理をしている。
建設現場をクビになり、夜遊びするような不良仲間と縁を切ったクリスティアンは無口で感情を言葉にのせるのが苦手な青年。そんなどこにも居場所の無い孤独なクリスティアンが、フォークリフトの操作歩技術を覚えて、職場の人たちから徐々に信頼されるようになり、好意を寄せてくれる女性も職場に現れるようになる。
自宅への帰宅時に顔を合わせるバス運転手との会話が印象的で、とてもささやかだがこんなやり取りからも、クリスティアンの幸せを感じさせてくれる。
「どんな一日だった?」と、運転中の運転手から問われる
「いい日だった。そっちは?」
「同じく」
ブルーノはなぜ自殺したのか、他人に理解することは出来ない
ベテラン社員のブルーノは何の技術も無いクリスティアンにフォークリフトの操作方法を教えてくれ、クリスティアンの想いを寄せるマリオンについてのアドバイスもしてくれる。やがて自宅へ飲みに誘うようになるブルーノはクリスティアンにとって父親のような存在だったが、ある日突然自宅でクビを吊って自殺してしまう。
東西ドイツの統合によって資本主義社会へ組み込まれた元東ドイツの人々。格差は拡がるし競争社会のため統合によって不幸になった人も当然いるだろう。ひょっとしたらブルーノも統合前の暮らしの方が良かったのかもしれない。
また、クリスティアンを家飲みに誘った際、奥さんが寝ているから大きな声を出さないように言っていたが、本当は奥さんは居なかった。
たしかに、台所には洗い物が積み上がっているし部屋の中も雑然としていたのでおかしいとは思っていたが、奥さんが出ていったのかそれとも死んだのかはわからない。
そうして、ブルーノが自殺をした理由も結局のところ誰にも分からない。
ブルーノは生前、東ドイツ時代のトラック運転手だった頃が良かった。と愚痴をこぼすことはあったが、誰かに真面目に相談するようなことは無かった。他人の抱えている哀しみなんて理解することは不可能なのだ。ただせめて、職場にいる東ドイツ時代からの長い付き合いの誰かがブルーノの孤独を救ってやれなかったのか、とは思う。
ささやかな幸せを見つけ、感じることで生きていくしかない
この映画では、クリスティアンが出勤時に青い制服を着込むシーンが繰り返し使われる。手首のタトゥーが隠れるように少し大きめの青い制服へ袖を通すシーンで、大抵の人々にとっての日常は平凡で、かつ同じことの繰り返しだということを強調しているように受け取れる。
退屈な日常であっても小さな変化はあるし、ささやかな幸せを感じることは出来る。そんなメッセージがラストシーンで象徴的に表現されている。
スーマーマーケット内を、慣れた手付きでフォークリフトを乗り回すクリスティアン。そこへ何の前触れもなく相乗りしてくるマリオンは少しするとフォークリフトを止めように言う。
さらにフォークを一番上まであげるようにクリスティアンへ指示し、一番上まで行ったら、ゆっくり下げるようにと。
耳を澄ますと、その音がまるで波の音に聞こえるのだ。
深夜の人気の少ないスーパーマーケットだが、蛍光灯の灯りで照らされた通路、フォークリフトで寄り添う男女と波の音。
カメラが徐々に引いていって、エンディング...
まあなんとも地味なシーンだ。全体を通しても地味な映画だと思う。いかにもBunkamuraシネマで上映していそうな、考えさせらるけども少しだけ悲しくて、でもちょっと良い話。
電車内の広告を眺めていると感じるのだが、我々はメディアのつくりだした「幸せにならなくてはならない」というメッセージに踊らされている気がする。美味しいお酒や食べ物を食べて、美しくなるためにダイエットして、遠くへ旅行して、タワー型マンションに住んで... そんなものは幻想だ。幸せの尺度を他人と比べることに意味なんか無いし、誰かに決められたくない。
自分で考えてある程度のところで満足するべきなのだ。
日々に変化が無かったとしてもそんな日常で良いのではないか。というメッセージを感じさせる映画となっている。あと「G線上のアリア」のかかる夜の巨大スーパーマーケットの映像の切なさと美しさといったらないなと思った。
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美談でまとめるには違和感を覚えた点が2つある。
クリスティアンは、病欠で職場へ来ないマリオンへ会うために、マリオンの家を訪問する。
呼び鈴を鳴らしても反応が無かったので、クリスティアンは勝手にマリオンの家へ入り込んで机の上に花束を置いていく。しかもマリオンは入浴中であったのだが来訪者がいたことには気付いている。
さらに職場でクリスティアンと再会した際に花のお礼を言うマリオンの神経がよく分からない。勝手に家に入られたら恐怖しかないと思うのだが。
また、マリオンは夫からDVを受けているとブルーノから聞いていたが、マリオンの家の中に荒んだ生活感は無い。むしろマリオンはバスルームで鼻歌を歌っていたのだ。これはたまたま機嫌が良かっただけのか、それとも本当のところDVは無くてマリオンはブルーノへ嘘をついたのか。
その場合嘘をつく理由が不明だが、年下のクリスティアンと仲良くするための大義名分が欲しくて家庭内の不幸をアピールしていたとするなら、心温まるストーリーが根底からひっくりかえるわけだが、、、うすら寒い話しだがそんなことは無いのだろうな。
https://www.youtube.com/watch?v=oFtmnWuvdcI
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