天使のいない12月(感想1)_刹那的な幸せとその先の不安について
『天使のいない12月』はLeafより2003年9月に発売されたノベルゲームで、企画・シナリオ担当は三宅章介。
恋愛ものにしては拗らせ方が他作品と比較して突出しているのがユニークで、作品タイトルどおり救いの無いエンディングが多いから冬にプレイすると身も心も寒くなれる。
以下、栗原透子と榊しのぶルートの感想についてネタバレを含む感想などを。
現実逃避を目的とするセックス
木田時紀は学生でほとんど家にいない両親と年子の妹、恵美梨と暮らしている。
主人公の時紀を含めて5人のヒロインもすべてダウナー気味で、思春期特有の不安定さは純粋と言えば聞こえはよいけど、同時に”イタさ”や”甘え”を感じさせるのは、取り敢えずセックスする相手がいることや快楽に逃げながらも、行為を終えた途端に内向きに考えがちだから。
ただ、どのセックスにおいても”相手を好きだからする”というより、不都合な現実から逃げるためのセックスだから、一般的な恋愛で踏むべき段取りを経ておらず、そのせいで生じる葛藤や矛盾についての深堀りの心理描写には考えさせられるところがある。
時紀は校則で禁じられているタバコを屋上で吸い、童貞であるのに「メンドーなんだよ、女は」と強がっている。
さらにクラスメイトの栗原透子から告げ口されると思ったら「トイレに連れ込んで剥いちまうか?」と、出来もしないくせに口先だけは威勢よく恐喝するイタい学生。
透子は要領が悪いからクラス内で悪目立ちしているため、自己肯定感の低い少女。時紀との接点はほぼ無かった。
しかし吸い殻を拾われたことをきっかけに、透子から生き辛さを愚痴られ、成り行きで二人はホテルでセックスをすることに。
セックスは一時の快楽を与えてくれたけど、行為が終わると空虚さが残るのは透子を好きだから抱いたのではなく、思うようにならない現実からの逃避がきっかけだったから。
だけど若いから性欲は有り余るほどあって、きっかけがあれば二人は再度体を重ねることになるも、時紀と透子それぞれに求めることにすれ違いはじめる。
自己肯定感の低い、栗原透子
時紀と透子は辛い現実から逃避したいという願望があるも、きっかけとなる理由は似ているようで異なっている。
時紀は常に厭世的な気分だったからその勢いによって、しかし透子の場合は誰からも相手にされず自己肯定感が低いから、自分の存在価値を認めてもらいたくて抱かれた、といった印象。
時紀がなぜこんなにも捻くれた性格になってしまったのかの理由が語られないのは残念だが、敢えて理由を伝えないことでプレイヤーの想像に任せて共感しやすくしたのかもしれない。
二人は何度も身体を重ねることになるのだが、透子が体だけでなく心も求めるように変化するのに対して、時紀は「好きなところは身体なんだ」と譲らない。
拾ってきた犬の面倒は見るけど、憐れみでは抱けないから時紀は透子の気持ちを受け止め無い。それはある意味純粋だが、透子の親友である榊しのぶはそれが許せない。
だから、透子の気持ちに応えられないことに罪悪感を感じた時紀は、学校を辞めることを考えて、透子へその旨をメールする。
時紀がどういうつもりで透子と付き合っていたのかについては、真帆ルートで時紀自身によって語られる。
透子がこういう時紀の考えに気付いていたのかは不明だが、透子は時紀へ依存している。
それは身体だけであっても女として求められることで自身の存在意義を見出していたから。
かなり歪ではあるが、だいたい恋愛なんて双方の恋愛感情が均等であることなんて無くて、どちらかが一方の思いが強いなんて当たり前だからそれも有りだと思うし、程度の違いこそあれ現実にはよくあることだと思う。
透子に会わないようにしていた時紀だが、透子のメールアドレスから「自殺予告」が届いたことで時紀がやっと動く。
メールは透子のためにと考えたしのぶによる送信で、時紀は嵌められたわけだが、「セックスしかできない…でも、セックスだけじゃイヤなの、足りないの」と言う透子を抱きしめて、時紀はキスをする。
これでハッピーエンドかと思いきや、その後の時紀のモノローグには「この瞬間の真実に従っただけ」とある。
つまりコレ、今この瞬間は栗原を想っているけど、永遠に栗原だけを想うことを約束出来ないという意味の裏返しでもある。
さらに続く「せめて、想い出の中だけでも」という言葉には、今のこの幸せな瞬間もやがて想い出になって、いずれ透子を捨てることを仄めかしてもいる。
言葉は美しいけれど、最後まで時紀のクズっぷりが伝わってくる。
少し横道に逸れる。
いわゆるラブストーリーの王道は「永遠の愛を誓う」ことが多いが、現実の恋愛は付き合って3ヶ月くらいまでが一番楽しいとも言われるし、どんなに相性が良くても愛情の質が変化しないなんてことは有りえない。
透子にしたって、今は時紀に好意を持っているが、幸せを手にして満足したらさらなる幸せを求めたくなるのが人間というものだから例外ではない。
それでも、多くのラブストーリーの王道が「永遠の愛を誓う」のは、現実には有り得ないと知りつつも多くの人がフィクションにそういうものを求めているからだろう。
だから、透子と時紀の物語は、王道のラブストーリーへのカウンターとして描かれており、ある意味リアリティがあるとも言える。
しかし時紀の美点は自分が傷つきたくないから他人の傷にも敏感で、相手にも同じ思いをさせたくないというところのはずだ。
時紀の要領が悪すぎるのは、愛情の質が変わってしまう未来のことまで考えて恐れるのはやり過ぎでは?という点にある。
だいたい時紀が傷つくのは勝手だが、だからって「せめて、想い出の中だけでも」と、この後に及んで透子を傷つけたら、時紀の美点が損なわれてしまうだろう。
むしろ「不安になる自分の気持ちを理解して欲しいだけ」という、どこまで自分が傷つきたくないという自己中心的な思いばかりが透けてみえてしまう。
だいたい愛情が変質するといっても、ポジティブな方向へ変質する可能性だってあるのだ。
それに時紀は透子に頼らなくてはならないほどに心は弱っていた。
だから自分の気持ちを犠牲にしても透子のために関係性を続けることが大人になるということだと思うが、時紀の心はあまりにも幼な過ぎる。
自身の気持ちにどこまでも正直で、それが時紀の良さであり純粋さともいえるが、現実にはこんなことを言われたり態度で示されたなら、続くはずの関係も長続きしないだろうとも思うから、個人的には「黙れ、中二病」と言いたい。
親友のためと言いながら、逆に追い詰める榊しのぶ
しのぶは教室で時紀と透子がセックスするのをこっそり覗いており、それを時紀に見つかって親友の行為に欲情していることに罪悪感を感じたから時紀に「犯しなさいよ」と言う。
罪悪感を感じて身体を差し出すしのぶの論理には随分飛躍があるけど、それは自分よりも常に下の存在の透子が自分よりも先にセックスを体験していることへの苛立ちもあったのかもしれない。
なぜなら、しのぶは透子が常に自分よりも劣った存在と認識し、相対的に優越感を得ていたことが考えられる。
要領は悪いけど感のいい透子が劣等感のかたまりだったのは、しのぶのそういう一面を感じ取っていたからで、この関係性は上記した真帆ルートでの時紀自身の告白による、相対的な強さと相似している。
つまり透子の性格が卑屈で自己肯定感が低い原因にはしおりの態度にもあったということで、むしろそんなドス黒さに気付いたからこその「犯しなさいよ」だと思いたい。
そんなしのぶの要求に応じる時紀もどうかと思うけど、透子との行為を中断したことで最後まで達していなかったから下半身は反応していて、誘いに応じることに。
そうして二人は何度も身体を重ねて快楽を感じるにつれ、互いの関係は徐々に変化していく。
時紀は自身の心のうちにしおりへの愛情が湧き上がるのに気付いたから行為後に告白した。
それに対して、しのぶが「心まで犯さないで」と叫んでいたのは、セックスが透子への贖罪としての意味合いで無くなることへの恐れがあったからだが、それは同時に時紀への好意を認めてしまうことへの恐れだったのではとも思う。
二人の感情の変化はひょっとしたら、純粋に心の内から湧き上がる恋愛感情ではなく、身体の相性の良さからくる錯覚みたいなのかもしれない。
なぜなら人間はセックスを繰り返しているうちに相手を好きになってしまうことだってあるのだから。
だけどそもそも身体と心は明確に切り離せるものではなく、その境界は曖昧なものだから、そんな身体ありきではじまった関係からの「好き」でも良いと思うのだが、しのぶはそれを良しとしない。
だから、しおりが「心まで犯さないで」と、時紀の言葉を必要以上に強く拒絶したのは、理性では身体と心は別と割り切っているつもりだけど、既に心のどこかで時紀を許しかけていたからだと思う。
その後、二人は一緒にいるところをあっさり透子に見つかってしまう。
しのぶと透子は同じマンションに住まうため、いずれこうなることは分かっていたろうに、隠しておけないしバレたらまっとうな対応を出来ないのがいかにも幼い。
いずれにせよ、透子の立場からしたら劣等感の主因であるしのぶに時紀を寝取られたわけだからたまったものじゃないだろう。
そうして二人はやっぱりセックスをすることで心の隙間を埋めようとし、問題は放置されたままた泥沼の三角関係という状況で終わる。
それでもポジティブな終わり方だと思えるのは、今この瞬間には時紀としのぶには身体の関係による快楽は感じられるから。
しかし、透子ルートのエンドでは同じように幸せな瞬間を感じながらもそれが長続きしないことを仄めかされていたのに対して、しのぶとのエンドでは「悲しくも怖くもなかった」と未来に対して前向きに捉えられているのが対照的だ。
透子ルートのエンドと似たような終わり方のように見えて、時紀の捉え方が正反対なことで、時紀が透子を心から愛することは無いということが他ヒロインのエンドで追い打ちのように浮き彫りになっている。
「天使がいない」などとキレイな言葉で包まれているが、本当にどこまで行っても、透子に身体しか求めない時紀の態度は透子からすれば悲劇でしかない。
感想が少し長くなったので、他ヒロインの感想は続きで。