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8人の女たち(感想)_女優同士によるプライドのぶつかり合い

『8人の女たち』は2002年2月に日本公開の映画で、監督はフランソワ・オゾン。雪深い屋敷で起きた殺人をめぐる密室ミステリーとなのだが、そこへ集う8人の女優たちのキャラクターと設定が濃すぎて、殺された男の存在感が薄い。
元は戯曲とのことで、大げさなセリフまわしやミュージカル仕立てなどの演出となっているが、そういうのが苦手な私でも楽しめるテンポの良さがある。
以下、ネタバレを含む感想を。

密室劇だが、単調にならずに飽きさせない

1950年代のフランス郊外の屋敷には、主人のマルセルの他に妻と次女、そして妻の母と妻の妹、さらに二人のメイドが住んでいた。

クリスマスの朝に長女が1年ぶりに帰宅してしばらくすると、マルセルがベッドにうつ伏せの状態で、背中にナイフを刺されて死んでいることが発覚する。

雪に閉ざされた屋敷の門は閉じられて、車で移動することも出来ず、電話線は何者かに切られて警察を呼ぶこともできない。
さらにマルセルの妹まで屋敷にやって来て、8人の女たちがお互いをマルセルの殺人犯として疑いはじめ、混沌としてくる。

8人の女たちにはそれぞれ、他人には言えない隠し事があって、相手を貶めるために目撃情報を暴露し合うことになるのだが、その内容がどれも突拍子もなさ過ぎてもはや笑うしかない。
殺されたはずのマルセルは終始後ろ姿で影が薄く、女優たちによるお互いの存在感を食い気味な演技は女優同士の意地のぶつかり合いを感じさせる。
そのため、話しの筋となる密室ミステリーよりも、8人の女たちによる告白やキャラクターの方が印象深く、色鮮やかで豪華な衣装を含め、お腹いっぱいになる作品。

濃い8人の女と、影の薄い主人

妻のギャビー(カトリーヌ・ドヌーヴ)は二人の娘の母だが、愛人がいてマルセルとの関係は破綻しており、荷造りをして愛人の元へ行こうとした矢先に夫が死んでしまうことに。
しかも、愛人が二股をかけており、その相手はマルセルの妹ピエレット(ファニー・アルダン)だったというオチまでついていた。さらにピエレットはシャネル(フィルミーヌ・リシャール)と同性愛の関係にある。

ギャビーの妹、オーギュスティーヌ(イザベル・ユペール)は冴えないルックスで、他人から構って欲しくて堪らないような言葉を早口でまくしたてるのだが、そのやり取りがせっかちで大げさだから場の空気を混沌とさせる。
しかも何を思い立ったのか、後半では胸元を広く開けたドレスで着飾って、堂々とした態度の何喰わぬ顔で、口数少なく居座っているのもすごい変わりよう。

ギャビーの母マミー(ダニエル・ダリュー)は、自分の夫を殺していたことを開き直って告白したり、マルセルを誘惑するメイドのルイーズ(エマニュエル・ベアール)や、マルセルの子を妊娠したと告白するシュゾン(ヴィルジニー・ルドワイヤン)と、次々に明かされる予測不可能な情報のせいで物語は混沌とし、そのせいでリアリティが希薄になってもはや喜劇と化している。

こんな女性たちに囲まれたマルセルに対して、パパが可哀想というカトリーヌ(リュディヴィーヌ・サニエ)のセリフはあったが、妻がいながらメイドと娘の両方と関係を持っている時点で、父親として完全にアウトだろう。

タブーを語り合う女たち

己の信念を貫くがモラルに欠けたところがあって、どうしようもない女たちなのだが、自分の気持ちに向き合って正直に生きているのは確か。自分がもし同じ立場だったら自制することができるだろうかと思わされる部分もあって、どうにも憎めない。
そうして女たちからは、不倫、近親相姦、同性愛、差別発言などが問題提起され、そういったタブーを恐れずに堂々とした態度でいられることも羨ましい。

同性愛であることを告白させられるシャネルは黒人でもあり、さらに職業はメイドということで、ギャビーからは見下されているが、本人は開き直って堂々としている。
オゾン監督自身も同性愛者であるが、確かカミングアウトしたのはこの作品よりも後だったと記憶している。いずれにせよオゾン監督なりのメッセージが濃く表れていると思われる。
そもそもタブーなどというものは、時代や地域によって変化するもので、それによって一人の人間の人格が否定されるようなことがあってはならないという思いを感じさせる自由さが、8人の女たちから感じられた。


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