禅僧の「増一阿含経31-5」講話メモ書き1日目
「WEBに挙げている話を読んでから講話を聞くと、入ってきやすい」というお声を頂きました。ということで今回から早速、動画にしたこの話の原文を講話会で読むことにしました。
この話は私が好きな話で、今までも色々な形で翻訳してきました。
前半部が「中道」、後半部が「福いとは?」についてテーマになっていると大きく分類できるかと思います。
分けた方がもちろん話がブレずに読みやすいのですが、分けることによって話が見えなくなる所もあります。
写経会後の講話会では、そういう細かい部分も含め、色んな説明ができました。まず前半部を動画で見て頂いた後に、原文を順番に読んでいきました。
以下、今回の講話会で触れたところを、要点だけまとめてみました。
詩偈について
ブログに載せている「仏教トーク」では、アヌルッダさんが居眠りをしている中、法話を続けるのを、このように形で原文をそのまま載せています。
お経には、このように「詩」の形式で書かれている部分があります。仏教の教えが含まれる詩を「偈」と言います。
原文に触れることで、お経の書かれ方、読み方、内容など色々なところに話が膨らんでいくので、大変おもしろいです。
それにそれぞれの対応箇所も一つ一つ確認していくことで、本当に原文に沿っていることをお伝えできたのもよかった点でした。
老病死の苦しみ
例えば
更には「老病死の苦」というフレーズは仏教でもよく取り上げられるところですが、それに対応する他のお経のエピソードや内容についてのお話しました。
お釈迦さんの出家した動機とも言われています。
お坊さんの進退や恰好について
進退とは、例えば合掌(手と手を合わす)のも進退の内の一つです。僧侶の行動、動作、などを進退と言います。簡単に言えば作法と言い換えることができるでしょうか。
そういった言葉も昔の経典から見て取れます。
長跪叉手も進退として今でも僧侶として教えられるので、この言葉でアヌルッダさんがどういう意味合いで行動しているか、だいたい察しがつきます。
それに「偏露右肩」。何故右肩をあらわにするのか?
これはお坊さんの恰好にも由来していますが、これは敬意を表すときの恰好でもあります。
なので、これは「ごめんなさい」としていることが読み取れます。今では「懺謝の拝」と呼ばれますね。
こういったことを目の前で僧侶である私が行い、説明することができるのも面白かったです。
精進ってどういう意味?
精進というのは、ただ闇雲に頑張るという意味ではないということが読み取れます。これは私的には、このお経の前半部の中心になっているテーマだと考えています。
文章としてはこちらで既にまとめているので、よろしければご覧ください。
以上、今回の講話会で読み進めた要点でした。