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知ってるけど知らなった「石切さん」

レキジョークルではないですが、そのメンバーのチコさんと思いつきに近いカタチで地味●●に神社巡りをしてきました。

雨が続いていたのですが、私たち「晴れ女」の威力が勝り過ぎて、快晴どころか今年最高の暑さとなりました。
私とチコさんが出かけると、不思議なことに必ず晴れます。
しかし贅沢ですが、夏の快晴はあまり嬉しくなく、曇り空ぐらいがちょうど良いのですが、なかなかちょうど良い塩梅にはなりません。


さて今回訪れたスポットは東大阪。
大阪府の東部に位置し、「河内」と言われる地域です。
かつては「河内国かわちのくに」と言われていたエリアで、昔からこの地の人たちに愛され大切に護られてきた2社を巡りました。

私たちが住む河内、松原市から北東へ約18キロ、高速を使って通常30分ほどの距離です。


創建から2700年!

地元の大阪では「でんぼ腫物の神さん」として有名で、「石切さん」と呼ばれて親しまれていますが、フルネームは「石切劔箭つるぎや神社」と言います。
つるぎ」は「剣」、「」は「矢」という意味で、それぞれが異体字で表記されています。

創建は神武天皇2年の紀元前659年と伝わりますから、なんとおよそ2700年とは!

今更ですが驚くのには、比較的私は東大阪には縁が薄く、ここにもほんの子供のころに訪れたきりでおぼろげな記憶しかないので、ほぼ初訪問なのです。
今回、チコさんの実家が縁があり、連れてきてくれました。


「神門」の「絵馬殿」から由緒がわかる

屋根の上、その中央には剣と矢が立てられて、天孫降臨であることを表しています。

これってどう見ても神門なのですが、後で確認すると「絵馬殿」となっていたので、なるほど!と思いました。
神門の割には奥行きがあり、絵馬も確かに掲げられていましたが、多くはありません。
昔は何かで利用したであろう無駄なスペースもありました。

寺の言うところの仁王さんのように、両脇に2体の銅像がありましたが、誰なのか名前が記載されておらず、おそらくここのご祭神であることは想像できます。

HPによると、
天照大神が孫である「饒速日尊にぎはやひのみこと」に霊力を備えた「十種の瑞宝かんだから」授けて大和の建国を命じます。
そこで饒速日尊にぎはやひのみこと は「布都御魂ふつのみたまというつるぎを持ち、その皇子の可美真手命うましまでのみこと天羽々矢あめのはばやを携えて天磐船あめのいわふねで鳥見(登美)一族が治めるこの地に降臨し、建国に尽力しました。

息子のウマちゃんの方が口髭のせいで老けて見えるねんけど💦

いちいち名前がややこしいので、まとめると、
祖母のアマちゃんに頼まれて、剣を持ったニギくんが、矢を持つ息子のウマくんといっしょにこの地にやってきて建国した。ということですね

というわけで、石切さんのご祭神はこの地を建国したとされる、
饒速日尊にぎはやひのみこと」、
可美真手命うましまでのみこと」の2柱ということになります。
それぞれが得意とする武器、つるぎを全面的に推していることがよーくわかりました。

<追記>
由緒はあくまでも当社に関係のあるところだけを抜粋しています。
有名な神武東征の下りもなかったのではなく、今回は省かせていただきました。


御神木の楠木は樹齢480年!

本殿横に堂々とした大木の楠木がありました。
ところどころ傷付き、コブができていたり、枝が折れた、あるいは切り落とされた跡があり、この楠の戦いの歴史が見て取れます。

幹周/5. 7m、樹高/推定15m、樹齢は470年。
巨樹と花のページより

巨樹と花のページの2009年の情報では樹齢470年なので、これが正しければ現在は485年ということになります。
485年前といえば1539年、天文8年。
まだ室町幕府・12代足利義晴の時代で、織田信長はまだ3歳。
そんな時代からこの地に根付いたのですね。

それを考えると、近所の阿保神社の楠木の樹齢1100年がどれだけすごいかが思い知らされます。

狛犬と社紋

本殿前狛犬

昭和7年4月建造のイケイケギャルのようにたてがみがキマッてる浪速狛犬ですが、台座を見ると、
熊取谷熊次郎さん一家だと思われる名前がずらりと書かれ、その上には一回り大きく「家内安全」とあり、素直に熊取谷氏の寄贈によるものなのでしょうか?

本殿前狛犬の台座

ただ、検索しても出てこず、苗字由来ネットによるとこの読みは「くまとりや,ひしや,ゆしや,くまとりたに,いすたに,くまとりだに」となっています。
特に「ひしや,ゆしや,いすたに」とはどういう当て字だろう??
全国で630人ということですから珍しい苗字ではあります。

なんと台座に「下り藤」の紋がありました。
思わず私は「え?」となったのは、「下り藤」と言えば藤原氏。
午後から行く予定の神社は奈良の「春日大社」と大変なゆかりがあるので、おそらくこの「下り藤」でしょう。

しかしここは?
ここは物部氏や穂積氏の祖先神なので、物部氏は藤原氏にたどり着くのでしょうか?
こはまた後日、調べてみたいところです。

実は石切さんのHPに掲載されているのは、左の赤の下り藤に、中に「石切」と書かれたもので、境内のあちこちの幔幕もこれでした。

本殿の南の参道、東側にある「神武社」にも狛犬がいました。
明らかに本殿前のものより古いことが、全体の彫りの丸みからわかりますが、台座を確認しても劣化していて、まったく読めませんでした。

神武社の狛犬

少なくとも100年以上は経っているようなので、大正か明治か?どちらかのような気がします。


こちらは「お百度参り」でも有名なところで、この日は大変暑いにも関わらず、多くの人が願掛けに参られていました。
でんぼ腫物の神さん」が転じて、悪性腫瘍や癌の治癒を祈願する方もおられるようなので、願いは切実なのでしょう。


さすが!なかなか達筆な楷書。


石切さん周辺

石切回廊

「三之鳥居」を出たところに、ちょっとおしゃれなショップ兼休憩所がありました。
もちろんトイレも綺麗なのでここのを利用したり、あまりの暑さだったのでソフトクリームを食べたりして休憩しました。

もちろん食べてはいませんが、「昆虫ソフト」には驚きました!
過激なもん売ってるなぁ!
ウケ狙いでしょうが、よほどのもの好きしかたべないでしょうね💦


大和屋

石切さんと馴染が深いチコさんが、いつも立ち寄るうどん屋さん。
写真は撮り忘れましたが、おでんも有名で、この日も熱々の「ジャガイモ」をハフハフ言いながら食べたのですが、よく味が染みてメチャクチャ美味しかったです。

石切さんはよくテレビでも登場するので、特に大阪のお笑い芸人さんはこの「大和屋」にもよくレポートに来るようで、たくさんの写真やサインが貼ってありました。


長くなったので、午後の部はまた後日にまとめます。





続きます>>


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千世(ちせ)
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