「法隆寺」を堪能する-第1回~東院伽藍
ここ最近はお出かけ続きで、なかなか記事をまとめる時間がありません。
たまたまですが、4月の後半にスケジュールが重なり、頭の中を整理するのも困難です。
やっと少し落ち着きましたので、見聞きして体験したことを順番に投稿していきたいと思います。
前回はこちらです↓
<お詫び>
この記事は間違いだらけで、コメント欄での皆さんの校閲でなんとか訂正することができ、本当に助かりました。
ありがとうございました!
風情ある土壁の道
前回、思いっきり間違えていましたので、再度ハッキリいいますと、私たち南大門から東へ進み東院伽藍へ行きました。
西から東へと続く道も法隆寺の魅力の一つです。
両脇に続く土壁と足元の石畳は、いかにも法隆寺だと実感できる光景のひとつだと思います。
晴天に恵まれた中、ここを歩いていると、来年の桜の季節はもう友の会の期限切れかもしれないので、せめて紅葉の秋にはまた来たいものです。
この時は新緑の青もみじが本当に美しく、眩しいぐらいでした。
夢殿の救世観音像
東院伽藍の「夢殿」のご本尊「救世観音」が春季の4月11日~5月18日までの期間限定で逗子の扉が明けられ、鑑賞することができます。
(秋季もあります。開帳期間はこちら)
普段は完全に秘仏なので、春と秋だけのこの贅沢な機会を目当てに訪れました。
東院伽藍エリアに入ると、さすがに秘仏公開なので、少し観光客で賑わっていたものの、それでも混雑とまではいきません。
そして今、気付いたのですが、驚いたことに「夢殿」の外観を4人の誰一人写真に収めていないのです。
「救世観音」見たさにに完全に気がはやっていたのか、まったくその建築に目を向けていないとは、呆れてしまいます。
外観は次回にはちゃんと観察するとして、今回は観光用リーフレットより拝借しました。
そもそも「夢殿」という名の由来は、かつて同じ名の宮殿がここに存在し、それが聖徳太子の住居だったという伝説からきています。
八角形の夢殿に八角形の逗子
聖徳太子が622年に没し、その約110年後の天平11年(739)に行信という高僧が、太子の遺徳を偲んで建てたのがこの東院伽藍です。
そして「夢殿」がその本殿であり、「救世観音像」がご本尊なのです。
全体は八角形、東西南北に両開きの扉、それらの間は「連子窓」となっていて、それぞれが交合に4か所ずつ均等に配置されています。
中央の八角形の逗子に納められた「救世観音像」を中心に、
東:聖徳太子孝養像
西:聖徳太子座像
北:聖観音立像
という配置であり、連子窓にあたる北東には行信像、南東には道詮像が北の聖観音立像の両脇に控えています。
件の救世観音は南向きに置かれているので、南の扉に立つと、その神々しい姿が正面から見られるようになっていました。
聖徳太子の生き写し?!
飛鳥時代の仏像にはリアルさはなく、のっぺりとした感じですが、全体的に伸びやかでお顔は穏やかで優美な笑みをたたえているのが大きな特徴ではないでしょうか。
救世観音も例外ではなく、見ているこちらの方にまで、その笑みが移ってしまうほど豊かな笑みを湛えていました。
身長、顔立ち、すべては太子の生前の姿そのものだと伝わり、静かに笑みをたたえ、うっすらと開けた両目は優しいながらも力強い。
この目のカタチは杏仁形といわれるアーモンド形をしています。
像の背丈が約180㎝ある事から、聖徳太子も長身だったことが伺えます。
中は薄暗く、はっきりと全容は掴めませんでしたが、今もなお黄金に輝いているのは確認できました。
いったいいつ誰がこの像を作ったのか不明ですが、通常、故人の等身大の像を作るのは没後まもなくの事なので、太子の没年である622年の可能性が高いそうです。
だとすると、1400年もの長い時間が経っていることになり、ここまでの輝きが保てるものでしょうか?
また、宝珠から台座に至るまで樟の一本づくりだとのことで、平等院のご本尊に代表される定朝の仏像のように細かいパーツを組み合わる様式ができるのはまだ300年もの先の事ですね。
日米・美術研究家たちの尽力
なんとこの像は平安時代末期の13世紀の頃から秘仏とされ、法隆寺の僧侶たちでさえも見ることは叶わず、それが解かれたのはそこからさらに6世紀も後の明治17年(1884)の事でした。
東洋美術史家であるアメリカのアーネスト・フェノロサと美術研究家の岡倉天心が日本の古社寺調査のため、厨子の扉を開け、像の姿を明らかにしました。
その時、像は約450mもの白布にぐるぐる巻きにされ、超厳重に保管されていたそうです。
この美しさは何重にもくるまれて逗子の奥深くに安置され、一度も開封されなかったからこそのものなのですね。
それにしても1400年とは途方もない!
明治政府の廃仏毀釈の中、よくぞ日本の宝に気付いてくれたものだと感謝しかありません。
中宮寺の如意輪観世音菩薩
夢殿の北東に「中宮寺」があります。
聖徳太子が母のために創建した尼寺であり、一見すると法隆寺東院伽藍と同じ敷地内のようですが、隣接した別区画なのです。
だから拝観料の600円は別途必要。
境内に入るとちょうどヤマブキが満開で、本堂を包み込むように咲き乱れていました。
ご本尊は日本美術の代表作のひとつ
ご本尊は「如意輪観世音菩薩」、別名「半跏思惟像」といい、東洋版「考える像」で、いつも世の安寧を思い考えている様子を描いています。
表情はわかりにくいかもしれませんが、本当に優しく自然なほのかな笑みを浮かべているので、この世の平和な未来を見ているように思えます。
飛鳥時代の最高傑作と同時に、日本美術においてもトップクラスの作品だと言われています。
またこの像は一木造ではなく、頭部の前後の2、胴体1材、両脚1、台座の1材などをはぎ合わせた造りで、先ほども触れた後世の定朝ほどではないにしても、この時代にはもうパーツをつなぎ合わせるという発想と技法があったのですね。
日本最古の刺繍「天寿国曼荼羅繡帳」
日本に現存する最古の刺繍作品です。
これも1400年も前の作品だと思うと驚愕しかないと思ったら、やはり経年劣化は避けられなかったようで、鎌倉時代に模倣して制作し、現在の物は飛鳥時代の原本と鎌倉時代の摸本とがうまく張り合わされたものとのことです。
それでも一部は飛鳥時代のものなのか!
そりゃ、いくら何でも1400年は無理や。
私たちが見た本堂内にあったものは複製ですが、現物は奈良国立博物館に寄託されているそうです。
古の人々の針仕事をぜひ見てみたいものです。
ランチは「GREEN SUN FOOD」
東院伽藍と中宮寺をゆっくり見学しても、まだ11時30分。
この日は夢殿本尊御開帳期間なので、念のためランチは1時間後の12時30分に予約していたのですが、電話確認の上そのまま向かいました。
場所は参道より一本東の道沿いにあり、そこそこの距離があります。
この日は雲もほとんどない晴天のせいか、4月の割には体感的には暑く、一番東北角の中宮寺から歩くのはなかなかキツかったです。
普通の住宅の一階部分がお店で、第一印象は草花が映えるとても気持ちの良い空間に大満足しました。
お料理にも期待できそう!
しかし、せっかくの良い演出なのですが、支払いは現金で食券を買うか、PayPayでのいずれかですが、どちらにしても「前払い」なのです。
昭和の食堂かっ!
まずこれでゲンナリ💧
オーダーしたランチプレートも小さめの魚フライ、ミニポテトグラタン、極ミニサラダ、ミニオレンジゼリー、たけのこご飯に味噌汁。
どれも小さめづくしで腹八分目にもならない。
しかも特別美味しいわけでもなく、ごくごく普通の味で、日ごろ私たちも作っているようなメニューです。
これで飲み物付きで1300円なのは、微妙なところかな。
決定的なのは、店主の愛想がない。
今後は来ることはないでしょう。
それともこの辺りはこれが当たり前?
別のお店はどうなのだろう?
前回にも書きましたがロコさんも友の会に入ってくれたので、この日の重要課題はクリアし、午後からはゆるりを西院エリアを回ろうと、心ゆくまで休憩して、完全に気を抜いていたのですが、午後からも予想外に充実した展開となりました。
ま、予想外はいつもことですが。
【参考文献】
・古寺行こう(1) 法隆寺 小学館
・水間徹雄・建築巡礼の旅 法隆寺10/東院伽藍・夢殿
・世界遺産1300年の歴史 法隆寺のことが全てわかる!
「法隆寺」を堪能するシリーズ
①第1回~プロローグ
③第1回~西院伽藍
④第2回~藤ノ木古墳
⑤第2回~周辺の寺々
⑥第3回~秋の斑鳩と東院伽藍の深堀り
⑦第3回~お宝と七不思議
⑧第4回~期間限定公開を巡る