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①仏のざっくり知識ー仏像を知ると寺院めぐりが楽しくなる

昨年の「法隆寺を堪能するシリーズ」で「百済観音」により仏像の良さに開眼し、にわかに興味が大きくなりました。
これより8年前にもこの仏様にギョッとした記憶はあるのですが、まったく無知な私は「へぇ~!」と思ったきり、すぐに忘れてしまっていたのです。

昨年の訪問でその芸術性に今さら気付かされ、仏像にも本気で目を向けるようになったのは、この時の百済観音がキッカケです。


さて、3年前の記事の「河内の霊場・紅葉めぐり」で仏のランクについて触れたことがあります。
仏様のランクは以下の通りです。

1位 如来
2位 菩薩
3位 明王みょうおう
4位 天部てんぶ(毘沙門天、帝釈天)
5位 垂迹すいじゃく(権現)

「河内の霊場・紅葉めぐり」

この記事を書いた時は、まださほど仏像に関しての興味は薄く、ただ記事を書くために必要な事だけを調べたに過ぎませんでした。

今後の紀行に生かすためにも、本シリーズにてこれら仏像たちの違いを深掘りしてまとめていきたいと思います。


仏像なんてどうでもよかった

仏像の良さに目覚めるまでは、寺社を訪ねてもその背景の歴史や宗教観しか見ておらず、基本的に信仰心が欠如した私は、仏像など単に信仰の対象のための偶像に過ぎないと軽く見ていたのです。

そんな抜け殻●●●のような偶像に、みんないったい何を拝んでいるのかと不思議に思っていたほどの罰当たり者だったのです。

それが「百済観音」で衝撃を受けて以来、それらを芸術的観念で眺めてみると、にわかに心に刺さってくるから不思議です。
仏像は私にとって「信仰」というより「芸術」であり、日本が誇る立体造形としての価値ある美術品であり、そしてそこにはそれぞれちゃんと宗教的意味が存在している事を知り、その奥深さに気付かされました。


仏像のはじまり

インド発祥の大乗仏教から

仏と言えば、元々はその祖・釈迦の姿を形にしたのを仏像というべきもので「釈迦如来」しかありませんでした。
その後、北インドで発祥した「大乗だいじょう仏教」の発展とともに、様々な仏が定義付けされました。

大乗仏教マハーヤーナのうち「大乗」は直訳すると”大勢の人間を乗せる事が可能な大きな乗物”という意味で、その教えは「一切衆生を救済する」ということになります。
自力救済だけではなく、全ての人々も一緒に救済しようという仏教思想です。(反対に個人の悟りを追求することを乗仏教という)

また前述の仏のランク付けで唯一悟りを開いているのは1位の如来のみであり、2位の菩薩以下はまだまだ悟りが開けていない未だ修行中の仏なのです。
それが大乗仏教により、まだ悟りを開いていない未熟な菩薩も如来に次いで崇拝の対象となりました。

密教伝来で種類が増える

やがて7世紀頃に、またまたインドで「密教」が誕生します。
先にできた仏教に、土俗信仰のヒンドゥー教を取り入れたのが密教であり、元来インドの神々とされる「明王みょうおう」や「天部てんぶ」もあらたに信仰対象とされ、9世紀頃には日本へと伝来し、多種多様な仏像が誕生するに至りました。

肝心の仏像の制作は釈迦の入滅から500年後との事ですが、その入滅年があらゆる説があってハッキリせず、だいたい紀元500年前後だとすると、西暦元年頃にはすでに、それらしきものがあったという事になります。

それにしても500年もの途方もない長い年月の間は、崇拝信仰の対象は無かったのか?と大きな疑問にぶち当たりますが、当時は釈迦があまりにも偉大過ぎて、恐れ多いため像にする事すらできずにいたようです。
その代わりに、釈迦関連グッズである誕生のエピソードにまつわる「蓮の花」、足裏を象った「仏足石ぶっそくせき」や「法輪」などの武具を対象として崇めていました。

南蔵院涅槃像(足裏)
ACphoto

簡単にいうと仏像に関してのポイントは以下の通りです。
・インドで発祥
・仏教+ヒンドゥー教+密教で形になる
・2千年の歴史がある



一目で見分けられる仏像の特徴

パッと見でわかるランク

仏のランクや種類によって、それぞれ見た目でわかる特徴があります。
それを以下の画像にまとめてみました。

こんな風に並べて比較してみると、違いは一目瞭然。
それまでどの仏像も同じだろ?と思っていたのが、ちょっとだけ注意をすることで、その仏の地位と役割までもがわかるようになります。 

1位 如来
すでに悟りを開いているので煩悩なし。物欲もないため服装は地味

2位 菩薩
まだ悟りきっていないため煩悩あり。物欲はあるので服装は華やかで派手

3位 明王
優しい心では無理な人々を厳しく諭すため怒った表情をして、炎をバックに剣を持っている。

4位 天部
元々はインドの神様たち。如来や菩薩のボディーガード的存在。

「仏」と呼べるのは4位の天部てんぶまでで、5位の垂迹すいじゃく権現ごんげんは「仏」とはいえません。
というのも、これらはどちらも「仮の姿」だからです。
詳細はこのシリーズで後日採り上げますが、これには日本独自の神仏習合が深く関わっています。

仏像は手で物言う

仏像は左右の手の指で形を作り、仏の意志や教えを示して声ではなく手で話しかけているのです。

釈迦の五印はの通りで、釈迦如来の基本的な印相です。
定印じょういん
施無畏印せむいいん
与願印よがんいん
転法輪印てんぽうりんいん
降魔印ごうまいん

奈良の大仏(廬舎那仏るしゃなぶつ)は右手:施無畏印せむいいん、左手:与願印よがんいんなので、こう言ってます。
「怖がらんでええ。願い叶えたるから話してみ。」

「東大寺 大仏」
2014年6月撮影


鎌倉の大仏(阿弥陀如来あみだにょらい)は定印じょういんなので瞑想中につき、「無」の状態。
話しかけるのはNGです。

「高徳院 鎌倉大仏」

各仏像の印相を知るだけで、話しかけられているようで、自分が受け入れられたようにも思えてくるものです。
これもまた知ると知らないでは大違いで、仏像の見る目が変わりますので、ぜひ着目してみて下さいね。

次回は如来の種類についてまとめます。




※指定外の画像はACWikipediaより


【参考】
ホトカミ
仏様のハンドサイン
ジュニア版 神社仏閣ミニ辞典
和楽


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千世(ちせ)
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