見出し画像

「寺」の初め、「ドラマ」の始まり

橋本治が“普通の人”を題材とする短編小説を集中的に書いていたとき、背景にあったのは「一人に一つのドラマ」という考えだった。
『ひらがな日本美術史』では、「寺」が初めて造られた当時の日本人には「ドラマ」はなかったと書いている。
日本の個人が「ドラマ」を演じて行くようになるのは、「寺」が民衆の中に浸透してからのことだ。

「人は、仏に向かい合い願うことによって、『願う』という願望を持つ『個人=己れ』の存在を知る。『願う』ことによって、『己れ』というものの存在を知り、そのことによって、己れのままにはならない『現実』なるものが、己れの外側にあることを知る。『救われる』ということを知り、『願望する』ということを知った個人は、やがてその先、その欲望を基にして、現実なるものの中で『ドラマ』なるものを演じて行くようになる。
『寺』が造られた時、まだドラマはなかった。それを知るものさえもほとんどなかった。多くの人間にとって、『願望』とは、まだ胸の内の奥深くに秘められているだけのものだった。それはまだ『なんだか分からない混沌』で、やがて育って『ドラマ』となって行くようなものは、まだ『なんだか分からないもの』のまま、『寺』という不可思議なものをぼんやりと見ていた。それが、日本に於ける『寺』の初めなのだと、私は思う。」

橋本治『ひらがな日本美術史』


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?