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これを私の最後の生とする!〈日めくり橋本治〉

「思い出とは、遺伝子である。人の胸の中に生き残ってしまえば、それで、その人の“生きた理由”は、達成されてしまうようなものである。そして、誰だって、他人の胸の中に自分の思い出を遺すことは可能なことだ。人間はそれ自体で、“個体が死んでもまだ生き続ける利己的な遺伝子”なのである。
『自分を遺したい』と思うことによって、人はそれ自体で“遺伝子”である。人は、そのように“遺したい”のだ。『自分の子供を遺したい』と、『自分の思い出を人の胸に遺したい』とは、実は、人間にとって同じように切実なことで、人間の遺伝子の遺し方には、この二つがあるのである。そのように、“遺伝子である人間”は、“輪廻転生”の中に入って行くことも出来るのである。
人間が、“他人の心に働きかけることが出来る生き物”だということを、大切にしましょう
『人生これで終わりなんてやだな』と思ったら、『もう一回ある』と思えばいい。たとえ今がその“二回目の人生”に当たっているにしたって、その当人には『これがオレの二回目の人生だ』なんていうことは分かりゃしない。輪廻転生には、不可知という利点がある。分かんないんだから、どう考えたっていいんだ。なにしろ『生まれ変わることだって出来る』と思ったって、エイリアンが卵を生みつけるんじゃないんだから、誰にも迷惑なんかかからない。
『このまんまじゃやだな、次の人生はもっといいもんじゃないとやだな』と思うんだったら、その“次の人生”がもっといいものになるように、“この人生”で頑張るしかない。そしてそのことを、日本のいたって当たり前の仏教は、『来世のために功徳を積む』と言った。『来世のために功徳を積む』は、『死んで極楽に行けますように..』と願うジーサンバーサンのするもんだと思ったら間違いだ。“極楽”というのは、輪廻転生の世界観の中では、“所詮一つの通過点”にすぎない。地獄ももちろん、“所詮一つの通過点”。
輪廻転生の一番重要なところは、あくまでも、“人間になって”、『これを私の最後の生とする!』と宣言することだ。そのような、自分で納得できるような充実した人生を送ることが、輪廻転生のゴールで、ハッピーエンド。だから、『次の人生がもっといいもんであるように頑張ろう』と思っている内に、そのことによって、『これでいいや、これで幸福になっちゃった』という“解脱”だって迎えるかもしれない。
『あってもいいし、なくてもいい』─それこそが、不可知であるような、輪廻転生思考のいいところだったりする。」
──橋本治『宗教なんかこわくない!』

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