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エドゥアール・マネ / メトロポリタン美術館
人生が、ただ社会に適合するためだけに割かれている
「30になった日本人の多くが疲れているのは、それまでの人生の多くが、ただ社会に適合するためだけに割かれているからである。だから、『社会に適合出来ている』がはっきりした時には、もう疲れている。しかし、ちゃんと社会に適合出来ている人間を、使わない手はない─社会の方はそう考える。
社会に適合出来ている人間は、そうそう文句を言わない。文句を言ったら『社会に適合出来ていない』ということがバレてしまう仕組になっているから、社会に適合出来た人間は文句を言わない─しかも、適合した社会に疑問を抱かない。自分の適合先に疑問なんかを抱いたら、適合した努力がむだになってしまう。適合という大前提をそのままにして、テキトーに愚痴をこぼしたりへんな発散をしたりして、自分の適合状態だけを維持するのが、適合を終えた社会人のあり方だと思っている。」
──橋本治『失楽園の向こう側』