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自我の点検と欲望の肯定

「人間が成長をするということがどういうことかといえば、それは自らの内にある自我を基盤にして自立することであり、その為にはまず、その人間を形成する自我の点検と欲望の肯定が必要とされる。
何故に自我が点検されねばならないかといえば、その自我が成長過程に於て、種々の制約や軋轢によって歪められているからであり、その検証を経なければ、肯定さるべき自我を貫く真の欲望がどんなものであるのかが、当人にも全く分らないからである。このプロセスを精神分析といい、人が成長過程に於て思い患うということは、この精神分析を自らに適用しているのに他ならない。
精神分析を第一にすることは、その人間の無意識の中に封じ込められた、種々の抑圧、挫折、衝撃を発掘することであり、それによってその人間の成長過程を明らかにすることである。明らかにされた成長過程は、次にそれを歪める原因となっている抑圧を取り除く作業に取りかかられねばならず、そしてこの作業を自己主張と呼ぶ。
自己主張の第一が拒絶から始まるのは、この歪みが抑圧によってもたらされているからであり、既に自らの中に同化してしまっている抑圧を排除する手段は、明白な拒絶による異化作用より他にないからである。
そして、抑圧というものが、外部からもたらされた原因によって生じたその人間の内部反応の結果であってみれば、すべての抑圧にはその抑圧をもたらした原因が存在するのであり、拒絶が自己主張として全うされるのは、その抑圧をもたらしたものの責任が初めて追及された時に於てのみである。だから責任は探られる。
だから自己主張とは、自分に不当に押しつけられた責任を他に転嫁することであり、子供に決定的な影響を持ちえる外部世界は第一に親であるから、子供が苦悩するのはすべて親の責任であり、究極的には、それはとりもなおさずその親を親たらしめている社会の責任であると非を鳴らすこととなる。」

橋本治
『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ  前篇』


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