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ふらんだーすの犬

現代を舞台にした、女を中心とする短編小説集です。軸になっているのは、「女
にとって家とはどういうものなのか?」

文庫版には、作者自身が解説をするという他にあまり例をみない「自作解説」が巻末にあります。

最初の作品「ふらんだーすの犬」は幼児虐待が描かれるショッキングな話。でも不思議と悲惨さが過剰にならないのは、この物語の主人公があくまでも虐待される幼い少年であって、可哀想な死に方をする人間の現実を救済することに重点が置かれているから。
それは、あの「フランダースの犬」に“ルーベンスの絵”が登場するように。

橋本治は、小説家の仕事は鎮魂であると書いていて(「ひろい世界のかたすみで」)、この世のなかで言葉を持てないでいる(いた)立場の人に言葉を与えて、それまで形にならなかった気持ちを丁寧に掬うような仕事をしていたように思います。「ふらんだーすの犬」のような作品を読むと、とくにその思いを強くします。

「親による子供の虐待死を扱おうとすると、事態の悲惨に目を奪われて、書き手の視点はどうしても『加害者』である親の方に向けられてしまう。それはいたし方のないことではあるけれど、そうなって大きく抜け落ちてしまうのは『子供の立場』で、そもそも小説というのは、その『可哀想な子供のありよう』から始められたのではないか」

「『人のあり方』は『他人を見る見方』でも決せられるが、『見られる他人』が“見られるままのあり方”をしているかどうかは分からない。その意味で人の世は、ドンデン返しの連続でもある。『たいして意味のない存在』が『大きな意味を持つ存在』に成り変わることもあるし、『見ている主役』が『見られる側』に転落することによって、初めて『人としての素顔』を表面化させてしまうこともある。」

だからドラマがうまれる。だから、普通の人を描いてドラマになる。この本の単行本の帯の通り、「主人公は、あなた」と言えるような普通の人の物語です。それは「ふらんだーすの犬」で子供を死なせてしまう親であってもそう。

「ここにいるのは『あなた』なのかもしれない。あなたは決して『善人』ではない。『悪人』でもない。『普通』の人だ。でもそんな『あなた』を『私』はいとおしいと思う。」
──橋本治『蝶のゆくえ』


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