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自分が我慢しているってことを理解してもらえない人と一緒にいるのがいやなのよ〈日めくり橋本治〉
我慢すればどってことないけど、結局私はね、自分が我慢しているってことを理解してもらえない人と一緒にいるのがいやなのよ。そういうことを“愛情”だって思い込むような人と一緒にいるってことが。
いやなのよ。
大学生になったフツーの男のモノローグのなさを何ページにもわたる「···················」で表現するという文学的実験(と挑戦)が「桃尻娘」という小説には出てきます(シリーズ2作目「その後の仁義なき桃尻娘」)。
この本はそれに続くような実験に満ちた短編小説集です。
異常な性の場面がすべてモノローグで語られていきます。説明する地の文はなく、指示する言葉と、感想と質問と拒絶の言葉と、言葉にならない声で行為を想像させる..。
白紙のページで時間の長さを表現したり。3ページもの白紙が二度も出てくる話もあれば、1ページに一文字(または一文)だけという場面もあります。
まァ結局、セックスっていうのは、当人が納得したところでやるもんですからね。その当人にとってすべての行為は変態じゃないわけですよ。
異常な行為なんかない。すべての行為は正常だなんていうとね、えてして、正常なことしかやりたがらないというね。折角異常な欲望を発見しても、どうもそれをみんな正常らしくやろうというね。
困ったもんです。