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ホントは速く読みたい。

こんにちは、水原です。
今日は、先日注文した「性犯罪被害にあうということ」という本が届きました。私は、特に読むのが速い方ではないので読むこと自体は大変です。しかし精読というか、大事なところは繰り返し繰り返し覚えるまで読むし、そうでないところも、一回気持ちを込めて読めば、興味のある本なら大体のところはアタマに残ります。
だから、そうやって気持ちを込めて読んだ本は愛着があるので捨てられないし、私の部屋は、本と楽器で埋まっています。愛着というのはきっと、執着と言い換えてもよくて。だって、好きなものほど手離したくないですよね?
言葉遊びかもしれませんが、それが無くなったらすごく悲しくて悔しいことを執着、それが育ってひとり立ちしたらすごく嬉しいことを愛着、と呼ぶのかなあ、なんて思います。
パートナーの存在なんかは、どっちにも当てはまりますね。だから愛着と執着は分け難い、と書いたのですが、…できれば執着だけ捨てたいです。

私は、性暴力のことも、さんざん受けてきた酷いいじめのことも、いまだに鮮やかに夢にみます。以前書いたように、夢は夢にすぎないと割り切れるようになってからは、そんな夢をやり過ごすのも上手くなりましたが、あなたはそんな時、どうしているでしょうか。私の書いた、夢と共存する方法は、役に立っているでしょうか。
でも、あなたがもし、性暴力にあって間もない状態でしたら、そんな、共存なんてできなくて当然です。私にはその気持ちは、手に取るようにわかります。私も、同じでしたから。

何もやる気が起こらない、ただぼうっとしていると時間が過ぎていくのがすごく遅い、眠れない、起き上がれない、人にあたる、食欲がなくなる、気がつくと、涙がぼたぼた垂れている。
そういうことの全部が、よくわかります。
どうすればいいんでしょうね、ではなくて、こうしたら少しはラクになりますよ、そういうことを提示したくて私はこのブログを書いています。ただ、以前にも書きましたが、そういうことはメールマガジンにしてまとめてお送りしようと思っており、今はその準備中だということを、どうかご理解ください。

あなたが明日もなんとか、どんな形だとしても、生きていてくれることを願って止みません。生きていれば、いつかはいいことがあります。生きていれば、なんとかなることもあります。死んだら少なくとも、この生では負けです。
だから、どんなに苦しくても生きてください。性暴力だなんて、そんなゆるせないことのために死んだら、悔しいじゃないですか。私は、あなたが生きていてくれればそれだけで嬉しく思います。そういう存在がここにいることを、どうか忘れないでください。

じゃあ、また明日、
ここでお会いしましょう。



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