回復すること。
(第十回。)
解離(かいり)について。少し書きます。
私にはたまに、眠っていて、あるいは単に横になっていて、
その横になっている自分を、少し高いところから見下ろしてる感じがする時があります。
心が身体を離れてる感じ。
それを私は解離だと思ってるんですが、人によっては少しは違うかもしれませんね。
どうしてそんなことが起こるかというと、
性暴力を受けている時、あるいは受けた後にその事実を思い出してる時、
アタマから離れない時、心から消せない時、
こんな風に苦しんでいる自分は本当の自分なんかじゃない、っていう風に否定して、
苦しんでいる自分を他人のようにみなす時、解離するんだと思います。
解離性同一障害(多重人格)の最初の兆候、なんでしょうね。
私は幸いそこまではいきませんでしたが、知人にそういう人がいる(いた)ことがありました。
すごく大変そうでした。
私の解離は「あー、解離してるなぁ」って思うだけで、
しばらくしたらいつの間にか解離は治ってる。そういう感じです。
あんまりいい兆候じゃないみたいなんですけど、
今のところそんなにひどくなってないし、あんまり気にしないことにしています。
頻度もそんなに多くないし。
だから特に困ってはいないんですけど、不思議な感じがしています。
うすぼんやり横になってる時に多いと思うので、
ぼうっとしてないで、寝るときはどかっと寝るようにすればあんまり解離は起こらないと思います。
でも好きなんですよね、ぼんやりぼうっとしてるの。
そんな風に思えるようになったのは本当に最近なんですけど。
以前は、身体(特におなかのあたり)に力入れていないと怖くって怖くって、いっつもガチガチに緊張してて、力抜いたらフラッシュバック起こしてて、つらかったです。
そういう感じが抜けただけでも、よかったなあって思います。
少しずつ、少しずつ、回復している感じがします。
5年前、10年前に比べれば、すごい回復具合だと思います。
これは5年後、10年後が楽しみですね!
だから歳を取ることも、なんだか最近あんまり怖くないんです。
いま20歳に戻れるよなんて言われても、自分の20歳当時の幼さを考えると絶対にごめんだし、そりゃ、身体は少しずつ衰えてはいくわけですけど、そんなのみんなおんなじですしね。
それよりも、心が回復していくと、今とどんなに違った景色が見えるんだろうと、そんな想像をする方がよっぽど楽しみだったりします。
身体の成長はどこかで止まって、あとは衰えていくのかもしれませんが、心の成長はその人の心構えひとつで天井知らずです。
そう思うと、生きることで怖いものがひとつずつ減っていく気がして、極端な話、死ぬのも怖くなくなると思うんですよね。
だから、性被害の記憶があっても、暴力を受けた記憶があっても、今の私は生きていけます。そう思えるようになるまでの道のりとメカニズムを、今この瞬間に苦しんでいるあなたにお伝えできればと思っています(むずかしい)。
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