つぶれて届くグレープフルーツを、社会は許せるか
ルワンダから帰国して日本でネットスーパーを使ったとき、届いたグレープフルーツを見て目を見張った。
グレープフルーツが入っているビニール袋は空気でパンパンに満たされていて、なるほど、運んでいる途中につぶれないようにしているのか〜!と、その細やかな気遣いに感心したのだ。と同時に、少し複雑な思いが巡る。
日本のスーパーでは、野菜や果物はキレイにプラスチックで個包装されている。なんでもいちいちビニール袋に入れられる。日本にいれば当たり前だが、外から戻ると、行き過ぎだと感じる。
ルワンダでは、野菜や果物はローカル市場はもちろんのこと、都心のスーパーでも個包装などされていない。レジでは紙袋にそのままどんどん入れられる。(ルワンダではプラスチックレジ袋が禁止されており、すべて紙袋)
野菜や果物だけではない。
私は飲食店を経営しているが、デリバリー用の容器ですら、プラスチックは原則禁止。弊店では、紙の容器に入れたカレーやスープをプラスチックラップで包んで密閉するが、サービスの質担保のためには当然という経営としての思いと、環境負荷とのジレンマがある。
お客さんにも環境意識の高い方は多く、プラスチックのスプーンを必要か聞かずに入れると、環境意識が低いとクレームになることもある。
レジ袋の禁止、プラスチック容器の禁止は素晴らしい、日本も見習おう! なんて声も聞こえてきそうだ。
でも、日本でそれを実現できるのかは疑問だ。技術面や体制面というよりも、日本人は、それを許容できるのだろうか?
ネットスーパーで注文したグレープフルーツがそのままカゴや紙袋に他のものと入れられ、ともすると一番下でつぶれているかもしれない。それでも、ビニール袋で個包装するよりも地球にやさしいから、と言えるのだろうか?
豊かになる中で、便利な暮らし、かゆいところに手の届くおもてなしを追求してきた私たち。清潔感も特にここ数年は大事だ。「エコ!」と手放しで喜ぶ前に、自分たちの今の暮らしの「豊かさ」を手放せるか、自分に聞いてみたいと思うのだ。
未来や環境のことを考えるとき、何かを追加でやるよりも、手放すことの方が大事なステージだと、特にルワンダとの対比で感じる。
ルワンダで、ベトベトの紙袋と半分減ったスープを受け取りながら心底日本が恋しくなる私は、その問いにまだ答えが出せていない。
選択肢も時間も、もうないのかもしれないけれど。