どこから来て、何に共鳴し、何を繋いでいきますか? | アイヌ文化発信 関根摩耶 Interview - Vol.2
≪ Vol.1 - 生い立ち、家族と地域、子どものいる環境
世代と関心、決して "特別" ではないアイヌ
関根:
アイヌ語にも方言差があったりとか、文様にも地域差があったりするので、「アイヌ」と一言で言っても色んな個性があります。
そんななかでも私は沙流川流域の方言で「沙流方言」を学び、地元平取の文様を見て育ちました。
関根:
私が何か一緒にできるとしたら、私の地元二風谷とお繋ぎしたり、私が知っていることをお伝えすることくらいかなと思っていました。
とはいえ、札幌や白老、阿寒など、他の地域の方々もすごく色々、素敵なものを沢山作っていて。
私、高校が札幌だったので、3年間札幌に住んでいたんですよね。1人暮らししてて、ステラプレイスとかもよく遊びに行っていたんですけど。でも、そういう工芸品だったりアイヌ文化を打ち出しているお店とかって札幌では今も少なくて。
アイヌ文化を上手く、良いところを摘んで出してる店もあるんですけど、北海道民ですら興味持っているけど触れる機会が全然無いみたいな状況なのかなと。
関根:
そうですね、世代によっても全然違うのと、地域によっても違うんですけど。
10代20代とかになるとそんなこと関係なく、むしろアイヌかっこいいよねって思っている人たちも増えてきていて。そうやって自分にルーツがあって、自分の文様があったりとか言葉があるって素敵だよね、って言ってくれるような世代も増えてきているように感じます。
けど、またその一方で、無知無関心っていうか、別に興味ないなーっていう人たちも多くなってきているようにも感じていて。でも段々と、世代によって変わってきてるのかなと思います。
関根:
「アイヌとは」とか、格好つけた説明みたいなのは要らないと私は思っていて。
むしろこう体験できる場所だったりとか、どういった形式でも良いんですけど、各地域のアイヌの何かの展示でコラボをしたり。おじいちゃんおばあちゃん世代が来た時にも、あーこんなの昔見たことあるけど今こんな感じになってるんだ、みたいに感じてもらえるスペースと。あとは普通にこう、アイヌの子育てで使っていた「シンタ」(ゆりかご)を誰かに作ってもらって、それを体験するとかでも良いし。
なんかそういう、日常に基づいて生活に持って帰れるような知恵みたいなのを撒いておいて、説明は別にしないで。日常に持って帰れるからこそ、どこの世代にも比較的入り込みやすくなっている展示とか、見せ方とか。そうゆうのが良いなって。
アイヌ文化にも音楽があったり、もちろん言葉もあったり、色んな形と表現があって、空間づくりにも出来ることは多いと思うので。
例えば、最近だと渋谷のミヤシタパークにあるEQUALANDさんのイベントとかに携わったりしたんですけど。
関根:
店頭で自然に目に入って、気づいて、後から「これかっこいいなー、これってアイヌの言葉なんだー」みたいな、アイヌが後付けになるような形式での展示とかも、私は素敵だと思っています。
関根:
アクセサリーでも何でもいいんですけど、普通にかっこいい、かわいいって思って手に取ってもらったものが実はアイヌ文様の由来だったんだ、とかね。
関根:
体験スペースではそれぞれ興味のありそうなところにフォーカスして、それをきっかけに広がっていく導線にしたら、年齢問わず考えられるきっかけになるかなとも思います。常に誰かしらが介入できる形が私は素敵だなと思いますね。
そういうちょっとした、別に通りすがりでも出来るようなワークショップだったりとか。"遊び" っていう視点だと何でも出来るような気がします。
熱意から始まる関係性と新しい道
関根:
アイヌとして生きている人たちが作っているものがきちんと評価され、表現できる社会も理想だなと私は思っていて。
「真似されてなんぼ」という話を母がしていました。
誰が作ったものかも分からないようなアイヌ文様が用いられて売られている商品なども目にすることもありますが、真似されるくらいかっこいいものを作れたら素敵なのではないかと私は考えています。
ただ、出来ればお互いが同意の上で作られることが1番だと思いますが…。
関根:
すごく難しいんですけど、コラボした案件としてその背景や関係性が見えるような形になっていて、アイヌ文化への貢献度的なものも提示し、それぞれが気持ちいい形でいっしょに進めれたら、社会から認めてもらえるものになるのかなと感じています。
もちろん色んなやり方があるんですけど、きちんと地域から認められている人や、頑張っている人と一緒に理解し合いながら進めるのがいいと思います。
関根:
私の地元二風谷は本州と近かったり、気候が安定してたり、やっぱり人が入りやすい地域なんですよね。比較的早い段階から研究者が入ったりとか色んな交流があって、だからアイヌ語の方言もたくさん残っています。
工芸の分野でも、日本の「伝統的工芸品指定」を受けていたりと、努力し続けてきた地域でもあります。
地域一丸となって頑張ってきた地域なので、私はそんな地元が大好きで。
そんななか、私が行っている活動では、私が若いから、多少間違ってても周りのアイヌの人達は「まぁマヤだからいっか」みたいな、適当に許してくれている部分もあって。Youtube でも新しい言葉を勝手に作り出したりとかして投稿してたんですけど、そういうのが出来るのも若いからだと思っています。
関根:
どの時代でも若者が作り出す新しいものって初めはこう嫌煙されがちだと思うんですけど、新しい道を作って、次の世代にかっこいいものとして伝わって、継いで。新しい生きた文化みたいなのが生まれていくなら、それはそれでいいのかなと思っていて。
関根:
私、とりあえず就職しないことにしちゃって。フリーのものづくりで、キャンプ用品を初めやっていこうかなと思っていて。
それこそアイヌの生活の知恵だったりとか、食べ物に対する考え方とか音楽とか、色んなところに繋げていけるし、工芸品っていう分野で若い世代の人たちを繋いでいけたりとか。若い世代が工芸で食べていける仕組みづくりだったり、色んなことに挑戦したいと思っていて。今のお仕事みたいなものも続けつつ、そういったものづくりを今年からやっていこうかなと思っているところですね。
でも将来は海外の大学院とかに一度行ってみたいです。海外の方が「日本はかっこいい」って評価を受けられる機会が多いと思うので、海外との窓口みたいなことも出来たらいいなーと。まだまだ勉強中なんですけど。
アイヌとは人それぞれで違うもの
関根:
それは私もまだまだ模索中で、多分、一生答えは出ないのだろうな…と。ただ、私にとってのアイヌは「ひと」という意味でもあります。
「アイヌなんですか、それとも日本人ですか」と聞かれることがよくあるんですけど、別に右半身アイヌで左半身が日本人っていうわけでもないし。色んな自分がいて当たり前で、そこを知ってもらえたら良いなと思います。
民族も、文化も、それぞれに関係した人々が存在し、そしてその人々が後世に受け継いでいるもの。 民族も文化も、まるで唯一無二の決してブレない "1つ" としてイメージしてしまうことが多いが、果たして、それに関係する人々もまた同様に固定化された "1つ" なのだろうか。
もし、その人々が複数ならば、その数だけ個性と感情、そしてそれぞれの経緯が伴ったより多様で流動的な体制があるはずだ。 もちろん大きな軸としての考え方や在り方は尊重されるべきで、それが大きな「1つ」として今に続いているのは事実だ。 だが、人々から成る民族と文化であるからこそ、それらも実際にはとても多様で柔軟な存在であるのかもしれない。
かつての日本の美意識が「wabi-sabi」として海外へ広く伝わったように、ある観点では既に固定化されているものでも少なからずアップデートは可能なはずで、大切なのは、そのアップデートに関わった人物がどういった意図と想いで尊敬の眼差しを向け、関係性を築き、社会に繋げているか。
例えその人物がDNA的な関係者でなくとも、何かのきっかけで自分自身に擬えて寄り添い、共感し、その民族や文化の未来に貢献することも出来るのかもしれない。反対に、過去の形式にとらわれて関係者以外の介入を排除してしまうことは新たな可能性をも排除することになるのではないか。 固定化された「1つ」の何か、でもそれに対する解釈と寄り添い方が多様であるからこそ導き出せる新たな未来もありそうだ。
だとすると、単に目に見えているものだけの判断ではなく、それに関わった人々の想いとストーリー、それらの関係性構築とコミュニケーションにかける時間こそ本来1番見えるべきところであり、また、私たちが知ろうと努力をする必要がある部分なのかもしれない。
想像してみよう、あなたらしいやり方を創造しよう。あなたの「声」を #ChirudaVoice で聞かせて。
Recorded 2021.12.24 - 2022.03.24
Interviewer : Haruko Kubo (CHIRUDA)
Editor : Haruko Kubo (CHIRUDA)
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