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眠れぬ夜におもうこと

眠れない。眠れない日は脳内で盛大に自己反省会が繰り広げられる。過去のおもに嫌な記憶を隅から隅まで狂ったように手繰り寄せる能力には、自分で自分が恐ろしくなる時すらある。
苦々しい経験ほど手放したいものはないのに、楽しかったことや嬉しかったことよりも鮮明に記憶の片隅に焼き付いているのは、いったいどういうことなんだろう。

𑁍

過去の自分。いつも人との関係に悩み苦しんでいた、過去の自分を思い出す。
人と接するのが怖くなってきたのは高校生になってからだった。
怖くなった、とはいっても最初に感じたのは「奇妙な居たたまれなさ」だった気がしている。人と接する時の自分に漠然とした違和感を覚え始めた。なんとなく「自分、変な気がする」から始まった感覚が肥大化して、徐々に私を飲み込んでいった。

「今の受け答えは変じゃなかったかな」「変な顔してなかったかな」
「相手に失礼なことを言ったり(したり)してなかったかな」
こんな感じの不毛な確認作業が続くにつれて、人と関わることに対する不安は膨らんでいく。

他人を通して映し出される自己像に対する悩みを見つめ続けなければならない現実、果てしなき自意識との戦い。今考えても耐えられるはずもなかったな、と当時の私を少し労ってやりたいとふと思う。

ある日、学校の授業をサボった。少し蒸し暑い初夏の頃だったと思う。
いつものように家を出たのだが、「これから学校へ向かって歩き出す」という今まで幾度となく繰り返してきたはずの当たり前の行動を今から遂行しようと思うと、身体がさまざまな拒否反応を引き起こす。
胸がドキドキして息が苦しくなる。胃のあたりが気持ち悪くなる。何故か「教室のドアを開けた次の瞬間、クラスメイトが一斉にこちらを見て、その視線に恐怖する自分」の映像が頭に浮かんで離れない等。
結局、その日は学校に向かうこともできずに、かといって家に帰ることもできないまま、公園のブランコに腰掛けてただ呆然としていた。

罪悪感は勿論あったが、多分恐怖心の方が勝ってしまったのだと思う。恐怖から逃れることができた時、私は「心から救われた」ような気持ちになったのを、今でも覚えている。
この安堵感は長続きしない上に逃げた分だけ罪悪感もやらなければならない課題も増していくのだが、それでも休めば安心できる、という確証を得てしまった。目の前の恐怖や不安から逃れるためには休むしかない。そう本気で思い込んでしまうほど、追い込まれていたのだと思う。
私は恐怖から逃れたい一心で授業の次は学校そのものを休みがちになり、人との関わりを極力断った。自分の殻に閉じこもって、鍵をかけた。

自身を悩ませる問題から目をそらしていられる間は、それがほんの一瞬でも心が安らいだ。安らぎを得るために回避行動を繰り返した。同時に苦しい現実から逃げている自分を疑問視する自分は常に存在し続け「本当にこれで良いの?」「このままで良いの?」と絶えず問いかけてきたが、直視すると自分の中の何かが崩壊してしまう気がして怖かったので、ひたすらに無視した。

ほんの一瞬が積み重なって取り返しのつかない時間になる。失われた気の遠くなるような時間と、若さと、そしてその成れの果てである中身のスカスカな自分が一塊になって、ある瞬間突然襲いかかってくる。もはや私に「ある」と言えるのは「何もない自分」だけだと。一瞬の安らぎを得るために犠牲にしたもの、その重さに大きさに、今度は押しつぶされそうになっていた。

人との関係に病的に思い悩む嵐のような日々は過ぎて、壊れかけた人生と失われた自己肯定感を取り戻すための「人生の修復作業」に途方もない時間と莫大なエネルギーを費やす日々が始まっていく。

数年間で対人恐怖を極めまくった結果、外に出ることすらままならない。こんなことでは駄目だと、勇気を振り絞って足を一歩踏み出してみたらば聞こえてくる子どもの賑やかな声。次の瞬間、頭は真っ白。一瞬で振り絞った勇気とやらも打ち砕かれ、脱兎の如く家へと舞い戻る。
そうだ、夜遅くなら自分の姿もとらえられにくいし、誰かとすれ違う時も朝昼ほど緊張せずに済むだろうと、夜な夜な暗闇を徘徊した。
慣れてきたら朝、そして昼、散歩に出かけて、もっと慣れたら買い物へ行く。その間も他人の視線にびくびくと怯えて毎日生きた心地もしなかった。そうしたところで、ようやく病院へと足を運ぶことに成功した。

精神科の受付で番号札を渡されて順番待ちをしている間、ああこんな感じの雰囲気だったな、と私の頭は十数年前の記憶を引っ張り出した。父がこの病院に通院していて、私も母と一緒に付き添いとして何度か来たことがあった。今度は自分が母に付き添われて訪れることになるとは、父の付き添い役をしていた頃は想像すらしていなかった。

その日から投薬による治療が始まって、程なくしてカウンセリングが開始された。今までの生活があまりにも酷すぎたので、気持ちとしてはようやくまともなスタートラインに立てた感じではあったのだが、私は思ったかもしれない。できればもっと早くここに立っていれば、何か変わっただろうか、と。

同年代の人はもう何年も前から地に足をつけた生活、充実した毎日を送っているのではないだろうか、彼らと自分とでは、立っている場所も見えている景色もまるで違うのではないか、その埋めがたい差を思うと、どうしようもなく胸が苦しくなる。

障害物競走の映像が浮かんでくる。次々とクリアしていく人がいる中で一つの障害物に手を取られ足を取られ、もがいている自分がいる。緑色のネットの中で泣きながらうごめいている。私がやっているのは多分そういうことだ。情けない、いったい何をしているんだろう。私の人生は何なんだろう、私はいったい何なんだろう。 私はどうして「こう」なんだろう。

一つの言葉が、私の内側を満たしていく。
私は、こうして訪れた不幸を自分の内側に刷り込み馴染ませ、自分を言葉のナイフで切り刻むことを何ら躊躇いもしなくなり、自虐と屈辱の海に飲まれることに、快楽さえ見出すようになっていく自分さえをも、嘲笑っている。

「恥さらし」

𑁍

こうやって定期的に、過去に思いを巡らせるのは何故なんだろうか。過去に思いを巡らせれば、そこにはいついかなる時だって苦しみと孤独を背負いながら生きていた幼い私が、こちらを見つめてくる。それは思い出すのも苦しい記憶であるはずなのに。時折引っ張り出して細部まで眺めてしまう。そして、私は昔の自分を思って苦しくなる。
あんなにこれで良いのかと、このままで良いのかと、過去の私は問い続けてきたのに。私はこのままでいるわけにはいかないのだ助けてくれと懇願していたはずなのに。それなのに徹底的に無視した。これは過去の私が未来の、今を生きる私に下した罰なんだろうか。

今夜も布団に身を横たえる。私にできる最大の償いは何だろうか。過去の私が今の私に向ける憎悪のような眼差しを否定することなく一身に受けながら生きることが、私にできることだろうか。そうやって生きて、生き抜くことができたなら。過去の自分も、今の自分も、そしてこれからの自分も「この世に存在した私」として、いつか許せる日が来るだろうか。

(眠れぬ日は思い出そう、頭の中に浮かぶこんな取り留めのない気持ちを言葉にした時のことを。そうして過ごした夜があったことを。忘れないでいるために、ここに記そう。)

2019.8.11

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