適応障害になった話
こんにちは😉
noteの投稿も3回目になりました!!
なかなか文章を書くのは難しいですが、
スキ!が届くたび嬉しい気持ちになりますね^^
今日は、適応障害と診断された時の話について書いていきます。
取り巻く環境の変化
前職は、19歳に入社して23歳で退職しました。
退職理由はいくつかありますが、
当時精神を病んでしまったことが主な原因で
自分を取り巻く環境を変えなければ…と思い退職に至りました。
精神を病んでしまったことに気がついたのは、22歳の頃。
当時、職場での環境がめまぐるしく変わる日々で
新店舗の立ち会いや尊敬していた上司の退職、
それに伴う店長就任、新人教育などという
新たな役割・環境にすぐには慣れず困惑していました。
突然増えた店長業務のほか新人指導、
店舗の運営、個人の技術習得や練習など
終わりの見えない仕事と戦う毎日。
残業5時間コースなどもザラにありました。
そんな生活をしていたら、何かが壊れてしまうのは
容易に想像ができたはず。
でもあの時の私は必死で、毎日無我夢中で走っていたので
そもそも「病む」とか「精神的にキャパオーバー」なんじゃないか!
なんて、考える暇すらなかったのです。
異変に気がついたのはとある夏の日…
ミーンミンミン・・・
普段通り出勤のため家から外に出ると
蝉の声はするものの、なんだか小さく聞こえて
「今年の蝉は静かだあなあ・・・」
なんて思っていました笑
でもこの時、私は「突発性難聴」になっていたのです。
これは、当時書いていた日記。
今思えば、耳鳴りや立ちくらみ
なんとなく周りが静かに感じたり、音にモヤがかかったような、
水の中にいるような感覚がしたりと不調のサインは沢山ありました。
でも気付くのが少し遅かった。
治療でステロイドの服用。
数日続けて様子をみたが効果がなく、
鼓膜を開いて、そこにステロイドを投薬するという治療も複数回受けました。
結果、片方の聴力は回復せず
3000Hz以上の高い音が聞こえなくなってしまいました。
突発性難聴は本当に怖い。
聴力のデッドラインは2週間と言われています。
2週間を過ぎてからの治療を施しても、
聴力が回復する確率はぐんと低くなる。
私のように治療を重ねても回復しないこともある
怖い病気です。
少しでも耳に異変を感じたら、
すぐに病院に行くことをおすすめします。
適応障害の診断
体に不調を感じてからやっと、
自分のメンタルが限界であることに気が付き、
心療内科を受診し「適応障害」の診断を受けました。
当時の私の躁鬱行動をいくつか書いてみます。
毎晩夜中まで涙が止まらなくなる
→ひどい時は日中の事務作業中に
何が悲しいでもなく涙を流しながら仕事をしていた。なんだか突然消えたくなる
→私の場合自称行為こそなかったものの
ここからポンっていなくなれたらいいなと考えるようになる。包丁と一緒に寝る
→休むことが「悪いこと」みたいな思考になってしまい
「危険」(=包丁)を抱きしめて寝ることで逆に安心して眠れた。迷走神経反射が起こる
→睡眠不足や疲れの影響で血圧や脈拍が下がり、
立っていると血の気が引いて冷や汗、吐き気を伴ったりするもの。離人症が起こる
→自分の手が自分の体から切り離されたような感覚になり
手の感覚が鈍りうまく動かせなくなる。
これ怖かった😔
などなど・・・。完全に「病んでいる」状態でした。
今考えると、不可解で恐ろしい行動をしていたなと思いますが
あの時の私は不安でいっぱいで、何をしても満たされなかったのです。
私が診断を受けてから、退職までにかかった期間は
約7ヶ月でした。
次回▶︎▶︎▶︎退職後の休養期間はどのように過ごしたか
について、書いていきます☺️
今回の記事はあまり明るい話ではないかもしれませんが、
同じように悩む方々に何か希望を与えられたら嬉しいです。
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