道理に沿う生き方
自分では「とても正しく生きている」とは思わないけれど、どちらかといえば、理屈に合わない事に対しては「なんだかなぁ〜」って思うタイプだ。
ルールやマナーは集団生活をする上では必要だと思うし、それがないと色々不都合が生じてしまう。
そういう「人が人の中で生きていく上で、周りとの調和を図るために大切な事柄」を道理と呼ぶんだろうと、なんとなく思ってきた。
辞書で調べてみた
辞書によると、道理とは「筋が通っていること、物事の正しいすじみち、人として行うべき正しい道、ことわり」とある。
確かに・・・
筋が通ってない事をみたり聞いたりすると、むむっ!?と違和感を覚える。
正しいすじみちから外れているほど、正しいと思うところへ無性に戻したくなる。
人の嫌がる事をする人を見ると「なんで?」と思う。嫌がらせ!ってわかってやっているのか、それとも自然に嫌な事をやってしまう人なのか・・・考えてもわからないし、その人に聞く勇気もない、私はヘタレです(^◇^;)
その人にはその人なりの「道理」があるのかな? そうだとすると難しい。出来れば、周りの人たちと軋轢を生まないように穏便に過ごしてもらいたいなと思ったりするんだけど、そうするとその人の「道理」からかけ離れてしまうよね・・・
私にとって「道理にかなう」ということは、自然体に戻ることだ。
「自然のサイクルの中での道理、人間社会での道理とは」
無理やり感のない、自然な関わり。いたわり。思いやり。優しさ。誰に対しても、何に対しても。
そういうことって出来て当たり前だと思っていたけれど、本当は気を遣わないと出来ない事なんだって今頃になって思う。
自然とともに生きている我々は、太陽の恩恵を受けないで生活することはできないし、動物も植物も皆、適度な温度と水によって生かされている。
おおよそ今の世の中は、損か特か、勝ち組か負け組か、そんな価値基準で動いている。お金や権力、権威・・・そういう事に一喜一憂しすぎて、他人と比べて、自分は損したくない!勝ち組にいたい!世間から一目置かれたい!
そして世間には、それこそが正しい!事実だ!と思わせる情報が溢れている。そんな情報に延々と晒され続けていると「それが今の常識なのかも?」って思っちゃう。でもそれってまやかしだと思うんだよね。「嘘も100回言えば本当になるんじゃ?」という考え方と同じ。
いやいや、100回言っても1000回言っても嘘は嘘だからさ(笑)
動物の一種であるという事を忘れてしまった人間の「なんでも出来る」という思い上がりが、道理からかけ離れたその考えが、いろいろな問題を引き起こしてしまう元になっているんじゃないか、そんな気がしている。
道理を生きる
無理なく、自然に。自分も自然の一部分である事を忘れない。
お互い様の気持ちを大事に、いろんな事をみて、感じて、していければいいな。
それが「道理を生きること」になるんじゃないかなと思ったりしています。
『いつだって、お天道様は見ている』