「もったいない」ってどういう気持ち?
もう使わないなぁって思ってるのに、なかなか捨てられない物ってないですか?
つい先日「構わないって楽しい」で「自分は自分でいいやん!」って書いたとこなのに、こんな話題なのも何ですが(笑)
17年住んだ家から引っ越すことになった時、思い切って要らないものを処分した。引っ越しのような大きな区切りがあると、手放すことに言い訳が立つので捨てやすい。でも何もない時に処分するとなると、一気にハードルが上がってしまう。
そう、自分はどちらかというと「捨てられない人」である。
引っ越しのような大きめの理由がないと、踏ん切りがつかないタイプ。それって言い訳だなぁとわかってもいる。つまりは「手放せない」だけ。
日々、生活をする中で、きちんと取捨選択をしていれば「要らないもの」はそこまで増えたりしないのだろう。
引っ越しから3年弱、我が家ではまた着実に不要なものが増えている。そこにメスを入れてみようと思う。
「もったいない」の始まり
気に入って手に入れたものでも、旬を過ぎれば「要らないもの」になっていく。ということは、旬を過ぎたものの見極めが苦手ということなんだろうか。
例えば、膝の抜けたジーンズ。毛玉が出来始めたセーター。ちょっとくたびれてしまったけれど、馴染んだものたちを捨てる勇気が出ない。もう一回、もう一回だけ、と着続ける。
例えば、紙袋。同じような大きさの紙袋が何枚も溜まっている。買い物にはエコバッグを持っていくし、紙袋の出番は思うほどないのに、処分出来ずに溜まる一方。まぁこれは買い物袋有料化の影響で、以前より溜まるスピードが鈍化しているけれど。
例えば、買ってみたものの、あまり使わないキッチングッズや日用品、文房具たち。そのうち使う日が来るかもしれない・・・という淡い期待が決断を鈍らせる。
他に着るものがないわけでもない。セーターだって、ジーンズだって。紙袋や箱の類にしても、今すぐ使う予定はないのに、捨てずに取ってある。キッチン用品や雑貨類に至っては、とりあえず保管するだけの為に一生懸命収納場所を考えたりしている。
もう着ない、必要ない、出番のこない物たちなのに思い切れない、その心理はどこから来るのか。
手放したら後悔するかもしれないという不安
捨ててしまったら、もう手に入らないかもしれない、困った事態になるかもしれない。そういう思いをしたくない、つまり「後悔するのが嫌」ということか。そこまでビンテージ級のものは持っていないんだけど。
確かあったはず〜と探し出して「自分って先見の明があるわ」と思いたい
運よく使うことになった時、捨てずに取っておいた自分はエライ!と思いたいのか。
気持ちを先に手放す
「不安」があって捨てられないのなら、まず気持ちの整理から始めるのがいいかもしれない。まずは「後悔するかもしれない不安」を手放そう。
どうして「後悔する」ことで不安になると思うのか。
後悔するだけなら「あ〜!残念!」で済む話。そこまで不安になる必要はない。
なぜ不安になるのかなと考えた。そこには後悔するのはダメなことだという思い込みがあるからだ。この場合の「後悔」は「のちに必要になるものを捨ててしまったという失敗」という事であって「失敗することは良くない事だ」と信じているので、後悔しそうなことは出来るだけ避けたいと思うのだろう。
それなら理解できる。まずは「失敗(=後悔)は良くない事」という思い込みを捨てる努力をしてみよう。そうしたら思い切ってモノも捨てられるようになるはず。
もう1つの「置いといて良かった〜!」という場面はほとんどないとしっかり認識することも重要。「エライ!」と思いたいだけなら、何か別のもので代用できれば、そっちの方が「工夫した分、もっとエライ!」ってなるよね。また、必要になった時に探し出せなかったとしたら、それは本末転倒すぎる。
結論「捨ててもダメじゃないし、困らない」
「要らないもの」と同居していると、何かをするたびにモノが目に入って気持ちが下がる。それらを見るたびに、頭の片隅に「あ〜片付けなくちゃなぁ」という思いがよぎる。それってやっぱり鬱陶しい。
それが気にならなくて場所が許すなら、捨てない選択肢もありかもしれないけれど。
でも、あまりいい気持ちがしないのであれば、めんどくさいと思わずに「気持ちもモノも」しっかりと手放して、スッキリ暮らしたいなと思う。
結局のところ・・・
捨てても持ってても困らない。気持ちよくさっぱり過ごせればそれが一番🎶
あれ?やっぱり「構わないでいいやん」に落ち着いてない?(笑)