見守ることのむずかしさ
自分と他人、意見が違って当たり前。時々出てくるアドラーさんもおっしゃっている。それは重々承知の上です、ですが。。。
明らかにそれ、違うんじゃないの?とか、情報古すぎるんじゃない?ということも時々あって、どうにも無性に「訂正」したくなってウズウズする。
だけど、それって相手さんにとっては、いわゆる・・・
大きなお世話!
だったりするんだよねぇ。
アドラーさんは「個人は個人で完結している。他人の課題に入り込む事なく、そこはちゃんと切り分けが必要」とおっしゃる。
時々書いているように、つまりは、自分は自分、他人は他人。それ以上でもそれ以下でもない。ということ。
誰だって、他人から「それ、違うよ!」ってズゲズゲ言われたら面白くないでしょう?
そうなんだよね。そうなんだよぉ・・・わかっちゃいるんだけどさぁ・・・
でも・・人の健康に関わることは例外と思うんだな〜。命に関わることまで「そっか〜あなたはそう思うのね」で済ませてしまうってのは・・とてもハードルが高いって、最近特に思ったりしている。
それは「命」がただひとつのもので、失ったら絶対ダメだと思っているからなのだと、どこかで読んだ(どこかで、が多いな〜出典覚えとかないと💦)魂は巡っているので、今世が終わっても、また巡って生まれ変わる、という考えによれば、命を失うこと自体はさほど重要ではない・・とかなんとか。そうは言っても・・・ですね。。。
やっぱり大切な人の「命」の問題は大きなことに思えてしまう。
出来れば自分なりの「これでいい」にたどり着いてもらいたいけど、それもこちら側の勝手な思い込み。人それぞれに答えはあって、それでいいのだとも少しずつ思うようになってきた。
待つ時間も人それぞれ
先日、甥の長男くんとそのママさん(=甥のお嫁ちゃん)とおしゃべりしていた時のこと。
「5分て何秒だ?」って質問をママさんがした。まだ掛け算習ってない。 えー!?わからん!って顔をしている長男くん。
じゃあね、2分は何秒?と聞いてみた。2分て、1分足す1分だよね、とヒントもつけて。
長男くん「えーっとね・・・60足す60だから・・・120!」おお〜〜立派!ちゃんとわかってる。
そこでママさんが「じゃあ4分は?」と聞いた。ヒントはなし💦
長男くん「うーん・・・🙄」一生懸命、考えている顔をしている。
私が「4分て、2分たす2分だね」とヒントを出そうとした時、ママさん「120足す120だから240でしょう?」
あー!言っちゃった(笑) ママさん、答え言うの、早すぎ!🤣
答えのわかっている人には、とるに足らない事かもしれない。
でも考え中の人たちにとって、考える時間、悩む時間って大事なんだよね。だって、出てきた答えは「自分で考えた、自分だけのモノだから」
見守ることって、結構難易度高めなんだなぁと、改めて思ったお話でした。
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