人生はルーティーン
年を重ねるってことは、日々のルーティーンが増えてくってことなんですかね。
仕事や食事なんかとは別に、歯磨きみたいにやらないと気持ち悪くなる習慣。
気づけばいっぱいありすぎて、朝から晩までとにかく忙しい。
□ 髪を100回ブラッシング
□ ディフューザー でアロマを焚く
□ 花の水を替える
□ 首のリンパ を流す
□ 声トレ(Amazonmusicの歌詞を見ながら一曲歌う)
□ オンライン英会話
□ 何でもいい、書く(このnoteとかブログとか)
□ 川べりウォーキング(1時間もしくは1万歩)
□ 筋トレ
□ ストレッチ
□ 髪を100回ブラッシング
んー、今はこんなとこか。
以前はこれに瞑想やヨガも入ってたけど、いつのまにかやめてしまった。
ルーティーンから消えていったのは、諦めたのでも、根気がないのでもなく、役目が終わったのだと思うようにしている。
今はそうですね、トレーニング系が圧倒的に多いから、気持ちを落ち着けるというよりはもっとアグレッシブな気持ちなのかな。気づかなかったけど。
こうしてみると、どんなルーティーンを持っているかで、けっこう今の自分が見える気がする。
先日読んだ記事の中で、「生活にルーティーンを持っていると元気」とあり、なんだか自分のことを褒められたようで気分がよかった。
真言密教のお坊さんだったけど、日々、粛々と同じことを繰り返すことは、仏教の三密(コロナじゃないよ)である身(身体)・口(言葉)・意(こころ)が整うんだそうだ。
そう考えると、ルーティーンとは修行のようなもの?
たくさんあればいいというものでもないだろうけど、ひとつずつこなしていくのは、確かに日々がきちんとまっとうに整っていくような充実感がある。
それにしても、髪を100回ブラッシングにはじまり、髪を100回ブラッシングで終わる一日。
薄くなる一方の髪をなんとかしたい!という気持ちでいっぱいなんだな、今の自分(我ながら、愛おしい。。)