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「痩せた?」は褒め言葉ではないールッキズムについてー

今回のnoteはかなり「勝手におもとけ」要素が強めの内容なので
あくまでも個人的意見・主張であって「こうあるべきだ!」って押し付けているわけではないのであらかじめご了承いただければと思います。

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さて、みなさんルッキズムという言葉をご存知でしょうか。

以下、Wikipediaより
ルッキズム(英: Lookism)とは、「外見にもとづく差別」であり、特に「身体的に魅力的でないと考えられる人々を差別的に扱うこと」を指す。
外見至上主義という呼称もほぼ同義として扱われる。


日本は他の国に比べてルッキズム…要するに「外見」で人の優劣を判断したり差別する傾向が強いと言われています。

痩せてる、太ってる
肌が黒い、肌が白い
毛が多い、毛が少ない
背が低い、背が高い


痩せてる自分は太ってる自分より価値がある
ニキビ一つない顔は、ニキビがある顔より価値がある

本当でしょうか?


実際のところ、そんなものの差(外見)は人の本当の価値にくっついてる付属品にすぎないのに、
SNSやメディア、誇大広告、自分の外見を他人にジャッジされる、または自分で勝手にジャッジするなどで
「自分のここをもっと改善しなければ」
「今の自分は醜い」
と自分を否定し、自分の「ダメなところ」を必死に改善しようすることに人生の時間を取られて”疲弊”している人が多いように思っています。


当の私も、外見への異常な執着心と「痩せた体=価値がある」という思い込みが酷かったために、摂食障害になり10年近く体型や食のことで苦しんでいた過去があります。

※私の摂食障害について書いているnote→こちら


これを美意識が高いとポジティブに言ってしまえば聞こえはいいけれど、
その「外見の改善」の動機が”自己否定”や”劣等感”、もしくは”異常な承認欲求”から始まっていると、少し危ないのではなかろうか、と思うのです。

どんな見た目でも、私は私。
どんなみ見た目でも、私は美しい。

このような「自己受容」がしっかり自分の深い意識に根付いていて
「いまの見た目でも素敵だけど、こうなったらもっと輝けるな」という感じで自分の外見を改善(この改善って言葉にも違和感があるけど)するのはとっても素敵なことだと思います。


つまり、「自己受容」できていないのに自分の見た目をあれこれ変えたところで、本当に満たされることはないのではないか、ということなのです。


「痩せた?」に隠れている刃


あと、体型にコンプレックスを持ちすぎて摂食障害になってしまった過去を持つ私からお伝えしたいことが一つあって、

「痩せた?」という言葉でも傷ついてしまい、心を閉ざしてしまう人がいるということを知っていただきたいのです。


みなさん、「太った?」は言いにくいけど、「痩せた?」は言いやすかったり、何も考えずに人に言えるということは多いのではないしょうか?

でも、
太った?とは聞きにくいのに
痩せた?は聞きやすいって
何かおかしいと思いませんか?

ここには「太っているより痩せている方が良い」という発想や価値観が少なからず潜んでいると思っています。
(考えすぎと思う人は心の中に留めておいてくださいw)


痩せたね!
痩せてカッコよく(可愛くなったね!)

この言葉の恐ろしさを知って欲しい。

それは「私はあなたのことを”見た目”で価値判断する人ですよ」と自ら自己紹介しているようなものであり、
また、「痩せていなければ価値がない」と思い込んで体型コンプレックスに悩んでいる人の痩せへの執着をますます深いものにしてしまう恐れがあるのです。


また、「痩せた」と言われて(あるいは見た目のことを評価されて)喜んでいる人も同じで、それは「私は自分のことを見た目で価値判断しています」と、自分の潜在意識に刷り込んでいるということなんです。



私はここで「見た目で判断するのはダメだ!そんな人はいなくなるべきだ!」と反対運動を起こしたいのではないんです。(そう思うのは個人の思想の自由なので)

ただ、目の前にいるその人が今の外見になったのには、私たちの知り得ない様々な背景があること、どんな人も懸命に生きてきた結果が今のその人自身の姿であることを知って欲しい。

外見で人の優劣が揺らぐことなどなく、みんながそれぞれの生きてきた背景や多様性を受容し、尊重し、相手を見る時に外見ではなく、その人が歩んできた人生の尊さと素晴らしさを見て欲しい。

そんなことを伝えたかったんです。



誰もが自分や相手の「生きている神秘そのもの」を尊重し、受容し、肯定する世界になれば、今よりどれだけの人が生きやすくなるでしょうか。


もし気になった人は、
「ルッキズム」で検索して、いろいろと調べてみてください。
日本がいかに外見で価値判断している国かということがわかると思います。


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最後に、体型や見た目のことで悩んで傷ついている人に
もう一度伝えます。

見た目であなたの存在価値は変わることはありません。
あなたは存在そのものに価値があるんです。
見た目がどれだけ変わろうと、どんなあなたの見た目も価値があります。
どんな時も「今」のそのあなたに100%価値があります。

見た目を改善することに疲れていませんか?
辛いダイエットに苦しんでいませんか?
体重の数字に一喜一憂したり
着たい服が合わなくなって落ち込んだり、
自己否定したりしていませんか?
食べたいものではなくて、食べたくも無い低カロリー食を胃に詰め込んでいませんか?
外見への否定で、あなたの本来の輝きを失っていませんか?

体重の数字や服のサイズであなたの価値は変わりませんし、
もしそれで価値判断してくる人がいても、そういう人はあなたの人生には必要ない人です。
(見た目で判断する人はその人自身が体型コンプレックスを持っている場合が多いです)


あなたには価値があります。
あなたの価値と見た目は全く関係ありません。
あなたが「生きているということ」それ自体に100%価値があるのです。


もっと自分に優しくしてあげてください。
完璧じゃなくていいんです。
優しくできなくても、今の自分を受け入れられなくても
それに気づいてあげればそれで大丈夫です。

どんな自分も「そうなんだね」と見つめて
その感情に光を当ててあげてください。

あなたを幸せにするのは見た目でも、外側の何かでもなくて
あなたの、あなたに対する「受容」「許し」「肯定」です。


あなたが喜び、笑顔で、心地よくいることが一番の世界貢献です。


脱線してきたので最後に…

しつこいですが何度でも言います。
(脳みそはすぐ”お前には〇〇しないと価値がない”と嘘をつくので繰り返し自分に「誰がなんと言おうと今の私には価値がある」と言ってあげないとすぐに自己否定モードに戻るんです。笑)

どんなあなたであっても
今のあなたに100%価値があります。

あなたは今までも価値があったし
これからも価値が揺らぐことはありません。


自分を受け入れてあげて下さいね。
懸命に生きているあなた自身の生そのもののパワーを信じてあげてください。

あなたはあなたが思っている以上に
すごい存在なんです!!!


誰もが安心して、自分のどんな状態も肯定し、許し、受容して生きる世界になりますように。



のりこ


・追記と謝罪
これ書いてる私自身も、仲良くしているぷうじいのあご肉をいじったり、「イケメンが好き!」「可愛い子大好き!」とか言っちゃってるから、そういうのも気をつけないとだよなって、このnote書き終わった後に気づいて反省してますw
(でもぷうじいのあご肉はこれからも愛を持っていじろうと思います)
追記の追記
このnoteについて、ぷぅじぃがめちゃくちゃ素敵な話をしてくれてます!
私の伝えたいことを上手く言語化してくれてて嬉しいー!!天才だな!

👇🏻こちら

https://stand.fm/episodes/61359eb54a8aba00068f6c07

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