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テゲバジャーロ宮崎vsFC岐阜を観ながら考える宮崎県のスポーツ文化醸成への期待

宮崎県の新富町にあるユニリーバスタジアム新富に足を踏み入れたのは3度目だったでしょうか。1度目はスタジアム自体の見学、2度目はヴェロスクロノス都農とテゲバジャーロ宮崎の練習試合。3度目にして初めてJリーグの試合を観戦しました。相手は私が5年ほどフロントスタッフとして勤めたFC岐阜です。

J3の銀河系軍団と紹介されたFC岐阜

翌日に梅雨明けが発表されることになる暑さが厳しい一日でした。Jリーグの試合は6月に入った頃から18時または19時キックオフの試合がほとんどになってきますが、照明のないユニリーバスタジアムでは夜間に試合を行うことができず、この日のキックオフは15時。メインスタンドは屋根があるため日影ができますが、ゴール裏は直射日光が照り続ける過酷な環境です。それでも飛んで跳ねて太鼓を鳴らして応援するサポーターの皆さんには頭が下がりますが、私はメインスタンドの席を取りました。ちなみにバックスタンドはありませんが、おそらく今後の改修で設置されていくものと思われます。

試合直前、スタジアムDJとテゲバジャーロ宮崎の広報担当がピッチに登場すると、この試合の見どころ解説を行いました。テゲバジャーロ宮崎の注目選手の紹介だけでなく、対戦相手であるFC岐阜の紹介も行われました。そこで私にとっては驚きの言葉が聞こえてきました。J3の銀河系軍団、です。

2008年にJリーグ(当時はJ3がなくJ2まで)に昇格したFC岐阜ですが、会社設立以降続いていた経営難を今西和男氏が引き受ける形でなんとかJリーグに昇格しました。チームとしては非常に評判が悪かったようで、JFL在籍時に対戦した相手チームの関係者から聞く当時の選手の態度などは信じがたいものでした。私は2008年に入社、地域貢献推進部に配属され、ここ最近でJリーグが「シャレン!」と称して推進しようとしている社会連携関係の業務をしていたのですが、県内各所に出向いていくたびに、それまでにクラブや一部の選手がしてきた信じがたい悪評を聞かされていましたし、地域の財界もほとんど相手にしていないような状況を目の当たりにしてきました。今西氏が社長に就任し、本格的にクラブ経営に携わってからは、まずマイナスをゼロに戻す作業をしなければならない状態でした。それは地域に対してクラブが貢献できることを最大限にしていくことであり、また、癌となる選手やスタッフを整理し、クラブの基礎を築いていくことでもありました。
2008年はまだ負の部分が多く残る状態でしたが、今西氏はチームについて、大卒ルーキーとして加入した菅和範をクラブの基準とすることをスタッフに伝えていました。それは技術や能力のことではなく、基本的な姿勢についてでした。元日本代表選手も所属していましたが、彼らの持つ一見プロっぽくみえるような姿勢を軸とするのではなく、大卒新人を教育してプロ意識をクラブに植え付けるところから始めたのです。
2009年には大幅に選手も入れ替わり、多くの大卒選手が加入しました。菅和範を基準として、新たに加入した田中秀人ら大卒選手がチームの軸となり、そのまわりを中堅、ベテランが固めるような非常に若いチームとなりました。中にはまだ昔のプロっぽさだけを引きずる選手たちもいたように思いますが、おおよそこの2年で変革がなされたように思います。そういう状況もあり、経験も実績もない多くの大卒選手たちが豊富な運動量で駆け回り、なんとか格上の相手に食らいついていくような時代がそこにありました。
フロントスタッフも出入りがあり、「Jクラブでは新卒は通用しない」と散々言われていた時代(今がどうなのかわかりませんが)に、私のような学生上がりの何もできないような新人にも仕事を任せ、経験の場や教育の機会をたくさん与えてくれました。その後も何年か続けて新卒のスタッフを採用しては育てていきました。
今西氏は非常に時間がかかるけれども、確実に積み上がることを徹底的に進めてきました。選手やスタッフを教育し、地域との接点を積極的に増やし、地域と協働していくことで、地域からの信頼を回復し、信用を積み上げていきました。そうして5年をかけて、やっとのことで地元の財界から支援の約束を取り付けるに至りました。その矢先にリーグが今西氏のやり方を否定し、行政と結託してクラブに介入を行ったため、今西氏がクラブを守るために職を辞さなければならなくなってしまったのが2012年のことです。(リーグが否定した今西氏のやり方を、10年のちにリーグが「シャレン!」と銘打ち何事もなかったかのように推奨している現状が、私の目にはとても滑稽に映ります。)
かように財政が厳しい状況が続く中で、若手選手たちが中心となってひたむきにプレーするという状況があたりまえだった当時を想うと、今年でJリーグ昇格15年目を迎えるFC岐阜が、J3の銀河系軍団と呼ばれるようなクラブとして扱われていることに戸惑いを隠せませんでした。私がクラブを離れてから10年が経ちますが、カテゴリーこそ一つ下がってしまいましたが、様々な面でクラブが伸びてきていることを実感します。
一方で、2020年にJ3に降格してから毎年優勝候補の筆頭に挙げられるほど予算をかけて戦力を充実させているにもかかわらず、昇格に手が届かない順位に甘んじてしまっている様子を見ると、あらためてスポーツの難しさを実感します。
一方のテゲバジャーロ宮崎は、Jリーグ昇格1年目の2021年は、首位と勝ち点1差、2位とは勝ち点差なしの3位と大健闘しました。主力が多く移籍してしまった2年目の今シーズンは、はたしでどこまで戦えるのか注目です。

さて、この日の試合はというと、前半15分にテゲバジャーロ宮崎が先制。そのまま宮崎ペースで進み、FC岐阜はほとんど良いところを見せられないまま時間が過ぎていきました。しかし、前半ラストプレーで昨年までテゲバジャーロ宮崎に所属していた藤岡選手が同点ゴールをあげ、1対1の同点で前半を終えます。すると、後半は状況が一変、FC岐阜が試合をコントロールし、終わってみれば1対4の大差となり、J3の銀河系軍団の面目躍如となりました。
なお、同じカテゴリーのチームの中心選手を引き抜いて、自チームの戦力アップとライバルチームの戦力ダウンを狙うというのは強化の常套手段のひとつですが、この試合で2得点を挙げた藤岡選手は昨年のJ3得点ランキング2位で、今年テゲバジャーロ宮崎からFC岐阜に移籍した選手です。このあたりもプロスポーツのおもしろさ、あるいはえげつなさが顕れていました。テゲバジャーロ宮崎のサポーターからすると複雑な心境があったと思いますが、そういった感情が生まれることも含めて楽しめるところがスポーツの醍醐味でもあるのではないかと思います。

Jリーグ2年目の入場者数とJFL2020シーズンの特例

さて、試合も終盤に差し掛かったころ、この試合の入場者数が1,532人と発表されました。最大収容人数が5,354人とありましたので3分の1に満たないくらいの収容率です。数字だけ見ると少なく感じますが、実際にスタジアムで見てみるとそこまで少ない印象はありません。もともとのキャパが小さいうえ、コロナ禍において1席空けての着席を求められていましたので、特にメインスタンドはそれなりに埋まっているようには見えました。調べてみると、今シーズンの最高値は鹿児島ユナイテッド戦の2,700人となっていましたので、これがコロナ禍での上限としているのでしょう。2,700人も入ればかなり満員に近い感覚になるのではないかと思います。今シーズンのこの試合までの平均は1,426人でしたので、おおよそ1,500人くらいが今のテゲバジャーロ宮崎の集客力と言っていいかと思います。なおJリーグ初年度の昨年2021シーズンの平均は1,124人でした。
今回の対戦相手であるFC岐阜は2008年にJリーグの舞台に上がりましたが、初年度の平均入場者数が3,745人、2年目が4,302人となっています。当時フロントにいた私たちは、これでも当時はかなり深刻な状態だと思っていましたから、そう考えるとテゲバジャーロ宮崎はコロナ禍であることを差し引いてもさみしい数字になっていると言えると思います。
ただ、FC岐阜のホームスタジアムである長良川競技場のように20,000人を超える収容人数があるような大きなスタジアムであれば、4,000人でもかなりガラガラに見えますが、その点、コンパクトな専用スタジアムであるユニリーバスタジアムの規模感は、盛り上がりを感じさせるには適正規模となっています。逆に言えば、早く手狭に感じるところまで持っていきたいところだろうと思います。少なくともバックスタンドができる頃にはそういう状態でいないでしょう。ちなみに、アウェイゴール裏にはおよそ50名、またメインスタンドも含めれば100名を超えるであろう岐阜サポーターが応援に駆けつけていました。岐阜から宮崎までの移動ルート考えれば、十分に大きな数字だと感じます。

JリーグはJFLからJ3に昇格する際にいくつかの条件を課していますが、そのうちの一つに入場者数に関する要件があります。

入会直前年度のJFLのリーグ戦における1試合平均入場者数が 2,000 人を超えており、かつ、3,000 人に到達することを目指して努力していると認められること。

Jリーグ規約 第3章 第15条より一部引用

ホームゲームの入場者数はクラブの経営に非常に大きな影響を与えますし、地域にどれだけ浸透しているかの目安の一つにもなりますので、それをクリアできないうちは、どれだけいい成績を残しても、どれだけいい設備を整えていても、どれだけ充実したアカデミーを持っていても、Jリーグ入会が認められません。
テゲバジャーロ宮崎がJFLからJ3に昇格を決めた2020年は異例のシーズンでした。ご存知の通り新型コロナウイルスが発生し、リーグ戦の開幕は延期。通常ホーム&アウェイの2まわり行われるところ、1まわりだけのリーグ戦となりました。さらに無観客試合も多く、有観客であったとしても入場者数の制限がかかったため、特例として入場者数の要件は除外されました。(2021年も同様の措置となりました。)こうしてテゲバジャーロ宮崎は、入場者数不問のまま、その他要件をすべて満たしたことによりJリーグ入会が認められ、宮崎県初のJリーグクラブが誕生することとなりました。
多くのクラブはこの平均入場者数2,000人という要件をクリアするのにかなり苦労します。1試合だけ動員しようと思えば、それなりに集めることは可能です。しかし、長いシーズンの平均入場者数となれば一朝一夕では達成できません。そのために多くのクラブは様々な施策を実施し、検証し、継続し、再構築する過程を踏んでいます。ホームゲームの満足度を上げる工夫はもちろんのこと、広報、営業、ホームタウン活動、地域との連携など、かなり多面的なアプローチを試みているはずです。その成果が入場者数として反映されるまでには時間も要し、長いスパンでの積み上げがものを言います。これは、目に見える数字としての入場者数ではなく、それを達成できるようになるまで運営体制が整い、組織として成長することの方がはるかに重要なポイントです。その結果が入場者数として顕れるのです。
テゲバジャーロ宮崎のJFL初年度の2017年の平均入場者数はわずか403、2018年は906。この数字から考えれば、もし2019年が通常通りのシーズンだったとして、とても2,000人を超えるのは難しかっただろうと想像します。特例によりJリーグ入会が叶ったことはクラブにとって運が良かったと言えるかもしれません。しかし、同時に忘れてはいけないのは、本来取り組むべきだった施策を積み重ねられず先送りにされたこと、言い換えれば組織としての成長の機会がないままステージが上がってしまったことです。テゲバジャーロ宮崎はクラブスローガンとして「真摯」を掲げていますが、まさにこの課題に対してこそ真摯に取り組まなければ、この先大きな苦労が待っていると思います。注目したいところです。

宮崎県のスポーツ文化とテゲバジャーロ宮崎がもたらすもの

宮崎県のスポーツ文化は少々特殊かもしれません。
2021年、テゲバジャーロ宮崎のJリーグ入会により、宮崎県初のプロスポーツクラブが誕生しました。

2020年時点ではJクラブがない県は8県あり、そのうちの一つが宮崎でした。九州では唯一の県です。JFLに所属するホンダロックFCは、アマチュアで日本一を目指す方針を貫き、長きにわたって宮崎県の社会人サッカー界をリードしてきました。一方で、(私は詳しくは存じ上げませんが)2000年前後あたりからJリーグを目指すクラブがでてきていましたが、うまくいかなかった歴史が宮崎にはあるようです。テゲバジャーロ宮崎はその前身からの歴史が複雑でどなたか詳しい方に教えていただきたいのですが、おそらくクラブ名称を変更した2015年あたりから本格的にJリーグを目指し始めたのではないかと思います。2014年にはJ.FC MIYAZAKI(現在のヴェロスクロノス都農)が、また2019年にはFC延岡AGATAが創設され、いずれもJリーグを目指すことを表明しました。2019年、2020年はカテゴリーは違えど、Jリーグを目指すクラブが宮崎県内に3クラブ存在しており、テゲバジャーロ宮崎が念願のJリーグ入会しましたが、残る2クラブがそのあとを追っている現状があります。

「プロスポーツは水商売」と言われることがあります。スポーツは勝った負けたがつきものの世界です。どんなに才能のある選手が揃っていても、どんなに優秀なスタッフが揃っていても、必ず勝利できる保証はどこにもありません。伝統ある常勝クラブが、あるいは多額の強化費を投入して名だたる選手を揃えたクラブが下のカテゴリーに降格することも珍しくありません。
勝利を目指すことはスポーツである以上当然のことですが、それよりも大事なのは、勝敗や順位、カテゴリーによって左右されるものを減らすことです。試合で負けようがカテゴリーを落とそうが、それは長い歴史の中でいくらでも繰り返されることです。それでも立て直せるのは、競技以外の価値が地域で認められているからです。それが文化となっていきます。

私はクラブの成長の過程を「理念」と「資本」と「人材」と「競技力」と「コミュニティ」をどのように獲得していくかの物語のように感じています。
テゲバジャーロ宮崎はJリーグ初年度にして堂々と優勝争いを繰り広げ、申し分ない成績を収めました。Jリーグを目指す過程で、選手やコーチングスタッフとして比較的早い段階でJリーグ経験者が加入することはよくありますが、これはテゲバジャーロ宮崎にも言えることだったと思います。競技面での強化をしなければカテゴリーを上げられないため、それが最もわかりやすい投資だったのでしょう。しかし、クラブの根幹をなすのは競技力だけではありません。
テゲバジャーロ宮崎は株式会社エモテントにより大きな資本を獲得しています。Jリーグ昇格を見据えて経営体制の強化を図ったものと思われますが、福岡県の会社ということ、また、会長および社長がエモテントの会長、社長となったことから、地域クラブというよりも企業クラブの印象が強くなったことでしょう。しかし、これによりクラブの経営はもちろんスタジアムの整備なども含めた環境整備が一気に進んでいったのも間違いありません。

「資本」や「競技力」は時として大胆に獲得できる可能性を秘めています。しかし、クラブの肝となる「理念」や「人材」や「コミュニティ」は地道にコツコツと積み上げることでしか獲得できません。そして、前者の方が一般的にわかりやすく求められやすいため、後者より優先されることも珍しくありません。今のテゲバジャーロ宮崎はまさにそんな状況だと思います。これから獲得していかなければならないものがたくさんありますが、地道に着実に手に入れていってほしいと思います。競技以外の価値を地域で認められるように、文化として根付くように期待しています。

ところで、宮崎県にはテゲバジャーロ宮崎のJリーグ入会以前、サッカーに限らず、各競技のトップリーグに所属するチームがおそらく一つもありませんでした。(私が知らないだけかもしれません。もしあった場合は大変失礼いたしました。何卒ご容赦ください。)
一方で、宮崎県はその温暖な気候を生かして県をあげてスポーツ合宿の誘致に力を入れており、施設も驚くほど整備されています。プロ野球球団やJリーグクラブのキャンプはほとんど沖縄か宮崎のどちらかで行われており、ラグビー日本代表もW杯前の合宿地として宮崎を選びました。他にも様々な競技で日本のトップレベルの競技者たちがこぞって集まるのが宮崎県です。ですので、地元にトップチームがなかったとしても、一流のプレーを観る機会が多分にあり、おそらく目は肥えているのではないかと思います。そして、それは非常にいいことではあるのですが、目が肥えていることが地域にクラブが根付くときに妨げになる場合もあるように思います。これからトップを目指していく地域のクラブは、キャンプにやってくるトップチームと比較するとどうしたって競技レベルは劣ります。目が肥えているがゆえにそこが引っかかってしまい、地域のクラブを応援する文化がなかなか育ちにくいのではないかと感じます。そして、その文化がない土地にはクラブの経営や運営に携わる人材や最新の情報が集まりにくく、クラブがうまく回り出す前に運営が困難になってしまったのではないかと推察します。そして、ここが重要なのですが、人材も情報も集まらない中で、クラブは成績やカテゴリーを上げていくというような競技面だけでなく、むしろそれ以上に地域に対して様々な価値をもたらすという最も重要な機能と効果を、宮崎県民が実感できないままでいたのではないかと思います。

この意味で、テゲバジャーロ宮崎のJリーグ入会は非常に意義深いものになるだろうと思います。プロの土俵に立ったことで、人も情報も一気に動いていくに違いありません。それにより、競技面以外に重要な役割を果たす人材が流れ込んでくるでしょう。また、いかに地域に価値を生み出せるのかという情報が流れ込んでくるでしょう。これにより、先に挙げた「理念」と「資本」と「人材」と「競技力」と「コミュニティ」の獲得がより促進されるはずです。クラブ経営、運営のレベルも上がり、強化や育成などの面でも発展し、蓄積され、地域の人々の感性が研かれ、文化として根付いていくことでしょう。地域の発展にもつながるものと思います。そして、おそらく他競技にも影響することでしょう。もう何年か経てば人材や情報、文化の側面でもっと大きな功績が顕著になってくるはずです。

今ではJ3の銀河系軍団と呼ばれるFC岐阜も、今西体制のもとで「理念」と「コミュニティ」を獲得し、「人材」を育成し、さらには「資本」の獲得に道筋をつける、地道な熟成期間がありました。苦しい時期でもありましたが、それがなければ今がないと言い切れるほど確実に土壌を耕した期間だったと思います。それ以降、紆余曲折を経ながらも多くの方々の尽力によりクラブが成長しています。何かを得るために積み上げてきた何かを失ったことも少なくなかったのではないかと想像します。それでも何かが残っていれば、また積み上げることができます。

本当の敗北は試合に負けたときでもなければ、カテゴリーが落ちいたときでも、スポンサーが撤退したときでもありません。クラブが地域での存在価値を失ったときです。それまでは何度でもやり直せるのです。
テゲバジャーロ宮崎ももしかするとこの先に苦しい時期が待っているかもしれません。そのためにも、残る何かを築いていくことが今求められているのだろうと思います。

ヴェロスクロノス都農という異質な存在

テゲバジャーロ宮崎と同じ宮崎県には、ヴェロスクロノス都農という九州サッカーリーグに所属するクラブがあります。都農町と私が所属するツノスポーツコミッションとヴェロスクロノス都農は三者が連携協定を結び、一風変わった取り組みを進めています。サッカーだけの面を切り取ればテゲバジャーロ宮崎と差がついていますが、地域での存在価値という点では私は引けを取らないと思います。

2014年にJリーグを目指すこと、子どもたちに夢を与えることを掲げて発足したJ.FC MIYAZAKIは、2019年に締結した連携協定をもとに、ツノスポーツコミッションが誘致する形で2020年に拠点を宮崎市から都農町に移すと、2021年にヴェロスクロノス都農に名称を変更しました。
連携協定の締結を転機に「理念」を再構築し、クラブの存在意義を明確にします。また連携協定に基づく事業を展開することで「コミュニティ」の獲得が進んできています。つの職育プロジェクトやツノスポーツアカデミーという新たな枠組みでの「人材」の育成は、スポーツによるまちづくりとひとづくりの先進事例としてスポーツ庁からも注目されています。当の都農町民は、それの機能と効果が実感できていないかもしれませんが、このような競技力に依存しないクラブの存在価値を積み上げるための土壌が出来上がってきています。まだJリーグの舞台には手が届きませんが、私はこの「理念」と「人材」と「コミュニティ」の獲得に先に着手していることが、将来を見据えたうえで大きな財産になると確信しています。極端な話、Jリーグに上がることよりもこの存在価値を高めることの方が重要だと言ってもいいでしょう。

ヴェロスクロノス都農は今回取り上げたテゲバジャーロ宮崎やFC岐阜といったJクラブよりも先に、近い将来に克服しなければならない大きな課題に直面するだろうと思います。しかし、その時に何かを得るために何かを失うことがあったとしても、それでも残る何かがすでに確実に積み上がり、根付いてきていると感じます。そして、同じ宮崎県内に、テゲバジャーロ宮崎とはまた毛色の違うクラブがあるということもまた、宮崎のスポーツ文化の醸成に大きな役割を果たすであろうことも、ここに書き残しておきたいと思います。

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石原英明 ―チリチリウォーズマン―
自分の真意を相手にベラベラと伝えるだけが友情の行為ではないということさ。それがわたしの提唱する真・友情パワーだ…(キン肉アタル)

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