安心した環境で「作って食べてる」ことを教えてくれた人のこと。
最近の私のnoteは、料理を「作ってたべる」話ばかりしています…。私にとっては、落ち着いて、誰にも怒鳴られない環境で「作ってたべる」という営み自体がメンタルの安定には必要なんだなと感じています。
今日はトラウマ治療期間中ではないのてすが、私が「作って食べる」ことが好きになったきっかけをくれた人の話をしようと思います。
自分がまともだとは今も昔も思っていませんが、私の場合、人生のあちこちに見方を修正してくれたり、何かしらの補ってくれた人たちが、"点"で現れてくれていたなあと感じるのです。そこは運が良かったなと…。
さて、その料理を教えてくれて人に初めて会ったのは、20代で某施設に住み込んでボランティアしていたときのことでした。ボランティアと言っても、私にとっては「合法的家出」に近かったです。
私は大学時代にメンタルを壊して実家に戻り、動けなかったのですが、
「働かないどころか、教会の礼拝にも出ない」
(※私は伝統キリスト教の2世です)
「お前は本当にダメなんだね」
「お前がこんなんだから、世間でも教会でも私はバカにされている」
と怒鳴られつづけて、おかしくなりそうだったのと、少し動けるけど仕事は厳しい…と言うことで、人生を空白にしすぎないために、そこへ行くことにしました。
(自力で経済的に自立ができなかったのは、私の力不足です…。情けなや…。)
一時的に実家を逃れる方法、なくはないのですよね…。
そしてそこで私は色々やっていたのですが(割愛)、その中にも施設の職員さんや利用者さんの食事を作ったことがありました。
主に作っている方がいて、私はその補助でしたが、その方がとにかく教えるのが上手なんです!
「あなたよりも私の方が手際がいいんですから、緊張しないで」
と声をかけてくれたりしながら、揚げ物のコツ(衣をつけたら一度冷やす、揚がってきたら油の音が変わってくる、など)を教えてくれました。
その施設でトンカツを40枚揚げたのは、ちょっとした自慢です😊
私の母も料理は一通り教えてくれました。
ただ「自分の感情の波を、目のまえの人間のせいにしてしまう」人なので、私の手際が少しでも悪いと、包丁の刃を下にしてまな板に叩きつけてくるなど生きた心地がしませんでした。
私も恐怖で萎縮したら、ますます出来なくなって、さらに母が激昂するという悪循環…。
ボランティア先のその方に優しくテキパキ教えていただき、
「へええー、私でも揚げ物できちゃったよ…」
と拍子抜けしているような、感動しているような…。
今思うと、施設で食事を作った経験は、
「あれ、もしかして私…できないって、全部私が悪いんだって思い込まされてるだけ?」
と、自分が親から言われてきたことを疑うきっかけになりました。
それに気付いたところで、自分の何かが劇的に変わったわけだとありません。ただ低空飛行ながらも地味ーに生きてこれてるのは、その辺りの経験が大きいのかなと思っています。
トラウマ治療中には、自分の「資源」なるものを思い出せませんでしたが、かき集めたら色々あるなあと今になって気付いています。